村山浅間神社(読み)むらやませんげんじんじや

日本歴史地名大系 「村山浅間神社」の解説

村山浅間神社
むらやませんげんじんじや

[現在地名]富士宮市村山

富士山の南西麓に鎮座する。祭神木花開耶姫命。正式社名は浅間神社だが、一般に他の同名社と区別し村山浅間神社と通称する。富士山南口登山道の玄関にあたり、富士山を御神体とする富士山信仰の中核社で、とくに入峰修行する修験道の中心地であった。平安時代末期、伊豆走湯権現(伊豆山神社)の草創者でもある末代が富士山中腹で一〇〇日間の断食行をした際、富士山の神である浅間大菩薩が水晶の姿をとって現れたのでそこを水晶すいしようヶ岳と号して宮殿を設け、その麓の村山の里に伽藍を営んだという(地蔵菩薩霊験記)。この頃には富士山の神である浅間神は、神仏習合により浅間大菩薩とも称され、社殿のほか神宮寺(別当寺)も創建された。このとき創建されたのが浅間神社(村山浅間神社)興法こうほう寺であったと考えられている。「右大将家一巻御書内」と源頼朝の書であるとの端裏書をもつ密厳院寺領注文(醍醐寺文書)に「駿州村山」とみえ、応永五年(一三九八)六月二五日到来との端裏書をもつ密厳院領関東知行地注文案(同文書)にも「駿州 富士村山寺」とみえるように、村山寺(興法寺)は伊豆走湯山の密厳みつごん院領であった。なお正嘉三年(一二五九)一月二八日に覚尊が浅間神の本地仏である大日如来像を造立している(「大日如来坐像胎内銘」村山浅間神社蔵)

鎌倉時代末期に頼尊が富士行を創始し、山岳修行者以下、一般人の登山道を開いたと伝える。室町時代、富士信仰の広がりにより道者の富士登拝が盛んになると、南口からの登山口にあたる当社地は多数の道者が訪れた。道者らは興法寺に属する先達(御師)の修験者が営む宿坊に泊まり、先達の案内で登山した。文明一八年(一四八六)一〇月頃、京都聖護しようご院道興は富士山麓の村山に立寄り「高ねにハ秋なき雪の色さえて紅葉そ深きふしの村山」と詠んでいる(廻国雑記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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