村田館跡(読み)むらたたてあと

日本歴史地名大系 「村田館跡」の解説

村田館跡
むらたたてあと

[現在地名]村田町村田 迫

村田の市街地西方にせり出す小高い丘の上にある。標高五四メートル、比高約二五メートル。頂上の平坦地に本丸(東西一三〇メートル・南北八〇メートル)が、その南東に二の丸があった。慶応二年(一八六六)絵図(八島清二家蔵)によれば、近世、館主の屋敷は二の丸にあったと思われ、館の東方に家中屋敷、さらにその外側に町屋が続いた。嘉吉年間(一四四一―四四)下野国小山氏の庶流で常陸国真壁まかべ郡村田庄(現茨城県真壁郡明野町)から移った小山(村田)業朝が築城、村田氏を称したといい(伊達世臣家譜)天文七年(一五三八)の段銭古帳によれば、村田氏六代紀伊守近重に上・下「あしたて」など柴田郡六ヵ所ほか合計一三四貫五四二文の所領が与えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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