朝日日本歴史人物事典 「来島通総」の解説
来島通総
生年:永禄4(1561)
安土桃山時代の武将。伊予国(愛媛県)来島城主村上通康の第4子。母は湯築城主河野通直の娘。永禄10(1567)年家督を継ぎ,通総の代から来島氏を名乗る。天正10(1582)年に主家河野氏を離反し,豊臣秀吉の水軍として活躍。同13年秀吉の四国攻めの戦功で,野間,風早両郡中1万4000石を与えられる。秀吉の九州攻め,小田原攻めにも従軍。文禄1(1592)年の朝鮮出兵に際し,兄通之と共に四国勢5番手に編成されて渡海(文禄の役)。慶長2(1597)年朝鮮再出兵の際には四国勢6番手に編成されて渡海し(慶長の役),全羅道鳴梁で戦死。法名節巌院天臾常清。瀬戸内水軍を率い,秀吉方の武将として活躍した。
(関周一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報