中世荘園制における年貢先納,すなわち荘園領主が来年度の年貢を今年中に,あるいは今年の年貢を正規の納期以前すなわち春のうちなどに先納させること。例えば紀伊国阿氐河(あてがわ)荘では預所が1255年(建長7)に,翌年の年貢分として来納50貫文分の材木を納めさせている。翌年どの程度の収穫があるのかわからない時点で先納させられるのであるから,納める側にとってそれなりの有利な条件であったとみられる。〈らいなう(来納)ハ,めされ候ハん月より,百文へち(別)に五文つゝのりふん(利分)をくわへて,九月まてのりうよう(立用)を申され候へし〉と《高野山文書》にあるのは,それを示しているのであろう。また来納は来年分を先納させるのであるから,何かと紛争の種になった。領家が交替した際などには,地頭側が年貢は前年に来納してあると称して年貢を納めない事態などが起こり,荘園領主と在地領主の相論となることが多かった。なお《日葡辞書》によれば,来納は〈次の所得,または,所得〉とあって,戦国期には意味が不鮮明になっている。
執筆者:黒田 日出男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
… 13世紀後半以降,流通経済の一層の発展とともに,年貢物を現地の市で銭にかえ,公事・夫役を銭に換算する代銭納がひろがり,年貢・公事・夫役の区別なく一括して荘園支配者に送進し,また代官が一定額の銭で荘を請け負うこともさかんに行われ,室町期には荘園・公領の単位を〈土貢何貫文の地〉のように貫文でとらえる貫文制の萌芽もみられた。こうした状況の中で,鎌倉後期にも山僧・借上を代官として年貢銭を前納させること(来納)が行われたが,南北朝期にかけて,土倉,商人,山伏,富裕な武士や僧侶などが請負代官として活動している。また守護との訴訟を有利にし,逆にその関係を円滑にするために国人や守護被官が代官となる場合もあり,守護請の形になることも多かった。…
※「来納」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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