東向村(読み)ひがしむきむら

日本歴史地名大系 「東向村」の解説

東向村
ひがしむきむら

[現在地名]須玉町東向

まだら山の南麓、釜無川の支流しお川の右岸段丘上、標高五五〇メートル付近に位置。東は江草えぐさ村。西は斑山の南に延びた尾根を隔てて小倉こごえ村。地名の起りは斑山の尾根の東斜面に位置することによるという(甲斐国志)。永禄一一年(一五六八)五月七日の武田家印判状写(「巨摩郡古文書」若尾資料)に東向村とみえ、久保田内膳は当村五〇貫文を含む一二〇貫文を宛行われた。慶長六年(一六〇一)検地帳(県立図書館蔵)では麦田四町二反余・上田三町七反余・中田三町余・下田二町余・下々田五反余、上畑四反余・中畑九反余・下畑二町余・下々畑三町余・熊蔵永荒畑二町二反余、屋敷数一一、桑一〇一束半・楮八五束半・漆五束。


東向村
ひがしむかいむら

[現在地名]三田市東本庄ひがしほんじよう

田中たなか村の南に位置する。武庫むこ川が北境から西境を南流する。南部の丘陵上には灌漑用の溜池が多い。慶長国絵図では田中村ほかとともに本庄村に含まれる。正保郷帳では野々倉本庄ののくらほんじよう村・西安にしやす村・田中村として高九〇一石。御領分御高付覚(九鬼家文書)によれば、明暦元年(一六五五)野々倉本庄村が東向・田中・西安三村に分村、東向村の高二四七石余となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む