大学事典 「東大紛争」の解説
東大紛争
とうだいふんそう
1968年(昭和43)から69年にかけて東京大学で生じた紛争。68年1月に医学部で研修医の待遇改善運動から紛争が生じ,医学部当局は学生・研修医の処分を行った。同年6月に処分撤回を求める学生が安田講堂事件の占拠を行うと,大河内一男総長は機動隊を導入してこれを退去させた。大学当局による機動隊の導入は,大学自治の放棄であるとして多くの学生や教職員の反発を招いた。これが大学運営の民主化を要求する全学的な運動へと拡大してゆく。各学部は警察導入に抗議してストライキを行った。7月には急進的学生により安田講堂が再び占拠され,また左翼系セクトも加わって東大全学共闘会議(東大全共闘)が結成された。紛争は長期化の様相を示し,学生の間でも主導権争いが起こる。11月,大河内総長以下大学執行部が辞任し,紛争収拾に向けて動き出す。新執行部と学生との間で,医学部処分撤回や自治活動の自由化,大学改革の方向性などを定めた確認書を取り交わすことで紛争は解決に向かった。少数派となった全共闘は,他大学からも同志を動員して講堂の占拠を継続した。69年1月,大学の出動要請を受け,機動隊が講堂の封鎖解除と学生の大量検挙を行った。テレビでも中継された安田講堂事件である。事後処理のため,東大は69年の大学入試を中止した。
著者: 斉藤泰雄
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報