東太后(読み)とうたいこう(英語表記)Dong tai-hou; Tung t`ai-hou

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東太后」の意味・わかりやすい解説

東太后
とうたいこう
Dong tai-hou; Tung t`ai-hou

[生]道光17(1837)
[没]光緒7(1881).3.10. 北京
中国,清朝第9代咸豊帝皇后。慈安皇太后ともいう。東太后とは,内廷居所による俗称。ニオフル (鈕 祜禄) 氏の出身。咸豊2 (1852) 年皇后。アロー戦争により,同 10 (1860) 年イギリス,フランス連合軍が北京に進攻した際,帝とともに熱河に避難。翌年帝の死により同治帝を奉じ,帝の生母西太后らとはかって権臣粛順らを退け,政治の実権を握って西太后とともに摂政となった。光緒帝が即位したとき再び摂政となったが西太后に実権を握られ,のち急死した。

東太后
とうたいごう

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世界大百科事典(旧版)内の東太后の言及

【西太后】より

…61年咸豊帝が死ぬと載淳が即位し,年号が祺祥と改められ,彼女は皇帝の生母として慈禧太后と尊称されたが,同年11月恭親王奕訢(えききん)と組んで宮廷クーデタを起こして先帝の寵臣を処刑し,年号を同治と改め,先帝の皇后であった慈安太后とともに垂簾聴政を始めた。慈安太后が東太后と通称されたのに対し,彼女は西太后と呼ばれた。政治の実権を握った奕訢と彼女は,曾国藩,李鴻章らの漢人官僚を操縦して,太平天国をはじめとする諸反乱を鎮圧した。…

※「東太后」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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