幕末維新期に活躍したイギリス公使館付医員。アイルランド生まれ。エジンバラ大学、ロンドンのミドルセックス病院医学校で医術を学び、1861年(文久1)来日した。生麦(なまむぎ)事件(1862)、薩英(さつえい)戦争(1863)にも立ち会い、鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いから会津戦争まで官軍(薩摩藩)方にあって傷病兵の救護に従った。1869年(明治2)1月20日、かねてよりオランダ人医師ボードインと争っていた大病院(東京医学校)教師に就任、クロロホルム麻酔、外科消毒法、四肢切断術、女性看護人の採用などイギリス医学による教育を行った。ところが同年5月、藩閥がらみの医制論争の結果、明治政府がドイツ医学の採用を決めたため、1870年1月ウィリスは薩摩藩の鹿児島医学校へ赴任、1877年西南戦争までその職にあった。門下に高木兼寛(たかぎかねひろ)がいる。1881年帰国。1885年にはバンコクのイギリス公使館付医員となり、1892年まで勤めた。
[神谷昭典 2018年8月21日]
イギリスの解剖学者。ウィルトシャーに生まれ、オックスフォード大学に学んだ。彼は人体解剖にとどまらず、ウシ、ウマ、ブタ、ヒツジ、イヌ、そして魚や無脊椎(むせきつい)動物にまで解剖学の対象を広げ、比較解剖学上、大きな功績を残した。とくに脳の解剖学に精力を注ぎ、「(ウィリス)眼神経」(三叉(さんさ)神経第一枝)、「ウィリス動脈輪」(大脳動脈輪)などの解剖学用語は今日に至るまで使用されている。ただし後者に関する最初の発見者はイタリアの解剖学者カッセリオGiullio Casserio(1561―1616)である。1664年刊の『脳の解剖学』はウィリスの代表作である。王立協会設立(1662)の際の中心人物の一人。
[澤野啓一]
イギリスの医師。幕末に来日し,日本に近代西洋医学,ことにイギリス医学を紹介した。アイルランド,フェルマナー州生れ。エジンバラ大学卒業,ロンドンのミドルセックス病院の医員を経て,1862年横浜にイギリス公使館付医官として赴任したが,イギリス人医師の来日としては最も早い時期に属する。68年の鳥羽・伏見の戦で薩摩藩に招かれ戦傷兵の治療にあたったほか,横浜の軍陣病院,さらに東北の各地で大きな活躍をなし,68年東京府の大病院院長となった。69年日本は医学の範をドイツにとることとしたので,功績のあったウィリスの処遇が問題となり,政府は西郷隆盛に対処を依頼。西郷は彼を鹿児島病院院長兼医学校校長として招いて高給で遇した。その講義は《日講紀聞》などの形でのこされ,《黴毒新論》(1872)の著もあり,日本の医学・医療に大きな影響を及ぼした。75年に帰国したが,76年,81年の各年にも来日し,85年にはバンコクのイギリス公使館付医師となり,公衆衛生,医学教育に貢献,92年帰国した。妻は日本人で名は八重子。
執筆者:長門谷 洋治
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Willis, Bailey
1857.5.31~1949.2.20米国 構造地質学者。スタンフォード大学教授。『The mechanics of Appalachian structure』(1893)で実験的に種々の褶曲形態をつくり,コンピーテント層とインコンピーテント層に注目,褶曲形成の際のそれぞれの役割を論じた。1903年からE.Blackwelderとともに中国の地質調査に従事。ほかに「Continental genesis」(1929),「San Andreas Rift in California」(1938)の論文がある。
執筆者:今井 功
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1837.5.1~94.2.14
幕末・維新期のイギリスの外交官・医師。北アイルランド生れ。1859年エジンバラ大学卒。62年(文久2)5月,駐日イギリス公使館補助官兼医官として来日。68年(明治元)の戊辰戦争に従軍し敵味方の別なく負傷兵を治療した。翌年,明治政府に請われて医学校および東京府大病院に勤めるが,ドイツ医学採用という政府の方針転換により,同年鹿児島医学校兼病院に転じ,一時帰国をはさんで77年3月まで同地で勤務し離日。85年シャム国イギリス総領事館医官に任じられ,92年まで在職。
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…アラビア医学ではラージーとイブン・シーナーがこの病気について述べており,16世紀のパラケルススも知っていた。糖尿病を初めて近代医学的に研究したのは17世紀のイギリスの医学者T.ウィリスであり,19世紀のフランスの医学者C.ベルナールは血糖をとりあげ,糖尿病が病理学的に解明される道を開いた。 糖尿病は文明国ほど多く,また文字に親しむ人に多いともいわれる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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