宮中の奥内、内儀の総称。内庭とも書かれる。後宮(こうきゅう)ともいう。天皇が住む殿舎の奥にある后妃、女官などの住む殿舎をさすことから、宮中の奥向きの殿舎の総称となった。平安京の内裏(だいり)では、天皇が住む仁寿(じじゅう)殿の後方にある、常寧(じょうねい)、承香(しょうきょう)、貞観(じょうがん)、麗景(れいけい)、弘徽(こき)、宣耀(せんよう)、登花(とうか)の七殿と、昭陽(しょうよう)(梨壺(なしつぼ))、淑景(しげい)(桐壺(きりつぼ))、飛香(ひぎょう)(藤壺(ふじつぼ))、凝花(ぎょうか)(梅壺(うめつぼ))、襲芳(しゅうほう)(雷鳴壺(かみなりのつぼ))の五舎があった。里(さと)内裏では、これらの殿舎はなく、対屋(たいのや)あるいは御内儀の諸殿舎が設けられた。江戸時代には、寛政(かんせい)年間(1789~1801)に飛香舎のみが復興された。現在の皇居では、公的儀礼に用いられる新宮殿に対して、天皇とその家族の私的生活の場である吹上(ふきあげ)御所が内廷にあたる。なお、皇室経済法では、第4条で、天皇、皇后、太皇太后、皇太后、皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃および内廷にあるその他の皇族の日常の費用その他の諸費を内廷費とし、毎年、法律で定める定額を支出すると規定している。
[村上重良]
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…とりわけ15世紀後半,メフメト2世によるコンスタンティノープル征服の後,新都イスタンブールに,従来の首都ブルサとエディルネにおける宮殿に加えて,〈旧宮殿〉,〈新宮殿〉(別名トプカプ宮殿)が新たに造営され,制度的にも著しい発展を遂げた。オスマン朝では,宮廷はペルシア語からの借用語で〈サライ〉と呼ばれ,君主の公務の場としての外廷と,君主の私的生活の場としての内廷と,宮廷の女性の生活の場としてのハレム(後宮)とに分かれていた。このうち内廷には,多数の小姓(イチ・オウラーン)が勤務し,小姓は,少なくとも16世紀末ごろまでは,大多数が戦争捕虜および帝国領内のキリスト教徒臣民の子弟からデウシルメにより徴収された少年からなり,奴隷身分に属するグラームであった。…
…東側には東華門内に文華殿,文淵閣,西側には西華門内に武英殿,南薫殿などがあり,以上の南半部は皇帝の公的な場所という意味で外朝と称する。その北半部は皇帝一家の私的な住居で内廷と称し,保和殿背後の乾清門から北に乾清宮,交泰殿,坤寧宮などが一直線に配置され,北門である神武門に終わっている。これを中央にして内廷は南北縦割りに5区域に分かれ,それぞれに多数の建築が立ち並ぶ。…
※「内廷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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