日本歴史地名大系 「東寺尾村」の解説 東寺尾村ひがしてらおむら 神奈川県:横浜市鶴見区東寺尾村[現在地名]鶴見区馬場(ばば)一丁目・同三―四丁目・東寺尾一―六丁目・北寺尾(きたてらお)一丁目・諏訪坂(すわざか)・寺谷(てらや)一―二丁目・東寺尾北台(ひがしてらおきただい)・東寺尾中台(ひがしてらおなかだい)・東寺尾東台(ひがしてらおひがしだい)・鶴見一―二丁目北に北寺尾村、北西に馬場村、西南に西寺尾村(現神奈川区)に接する。中世は寺尾郷のうち。建武元年(一三三四)五月一二日の裏書のある鶴見寺尾地図(金沢文庫蔵)に「寺尾」がみえる。小田原衆所領役帳に諏訪三河守「弐百貫文 久良岐郡寺尾」とある。 東寺尾村ひがしてらおむら 長野県:長野市松代地区東寺尾村[現在地名]長野市松代町東寺尾南は松代城下町に続き、東に東条(ひがしじよう)村、西は西寺尾村に接し、北には寺尾城の山を背負う。城下町に接する農村であると同時に下級武士・足軽の住居する者も多かった。中世には隣の西寺尾村を含む地域が「寺尾」と称した。初見は「吾妻鏡」の建久元年(一一九〇)六月の条に、頼朝が右近衛の大将に任ぜられ、京都に赴いた時、他の信濃の諸士とともに、この地の土豪武士であった「寺尾太郎・寺尾三郎太郎」の名前がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by