東山道郷(読み)ひがしせんどうごう

日本歴史地名大系 「東山道郷」の解説

東山道郷
ひがしせんどうごう

美都町の益田川流域に位置した、益田庄を構成する庄内の単位所領。たんに山道郷ともいう。もと益田本郷の一部であったが、鎌倉期に分割されて山道郷として成立し、さらに南北朝期における益田氏所領の再編成に伴って、新しく成立した北山道郷との位置関係などから、東山道郷とよばれるに至ったと推定される。成立当初の名称が山道郷であったことは、山道の名称が鎌倉期までさかのぼること、および中世を通じて東山道郷が山道郷ともよばれ続けたことなどによって推測できる。正和二年(一三一三)一〇月一五日の阿忍譲状(益田家文書)によると、益田氏惣領兼長の後家阿忍は、先年伊甘いかみ(現浜田市)地頭職を「せんたう(山道)」の孫太郎入道道忍に譲渡したが、自分に敵対したとしてこれを悔返し、改めて伊甘郷を鶴夜叉に譲渡し直している。ここにみえる道忍は、南北朝期に活躍した益田兼見の祖父兼弘のことで、益田氏惣領として伊甘郷にあった臼口うすぐち大明神(御神本大明神)を山道に移して祀るなどのことを行ったが(永徳三年八月一〇日「益田祥兼置文」同文書)、山道地域に拠点を定めたところから「山道の孫太郎入道道忍」とも称されたものと推定され、すでにこれ以前の段階で山道郷は成立していたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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