東昌寺跡(読み)とうしようじあと

日本歴史地名大系 「東昌寺跡」の解説

東昌寺跡
とうしようじあと

万正寺まんしようじ古釈迦堂ふるしやかどうに位置したとされる臨済宗古刹開山は山叟彗雲(恵雲)開基は伊達氏四代政依で、弘安年間(一二七八―八八)創建という。伊達五山の一で、南北朝時代足利尊氏が陸奥国の安国寺としたという。寛正五年(一四六四)頃には伊達氏を檀那とし、僧衆二〇〇人を擁する寺で、住僧は黄衣を着していた(「臥雲日件録抜尤」同年四月一五日条)。桑折伝来でんらい寺蔵の梵鐘は、その銘文によればもと「奥州伊達郡無為山東昌禅寺」のもので、文正元年(一四六六)一一月二五日、大檀那円崇(円宗、伊達持宗)らによって鋳造された。その後、東昌寺は伊達氏とともに米沢岩出山いわでやま(現宮城県岩出山町)、仙台へと移った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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