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鎌倉五山に対し,京都にある臨済宗の大禅刹,すなわち南禅寺・天竜寺・相国(しようこく)寺・建仁寺・東福寺・万寿寺をいう。中国南宋代の五山官寺制度が,日本に移植されたのは鎌倉時代末期のことで,はじめは建長寺・円覚寺など鎌倉の大禅刹をもって五山としていた。建武新政のあと,1333年(元弘3)後醍醐天皇の帰依厚かった宗峰妙超の大徳寺が五山に列せられ,翌年には大覚寺統と深い関係にあった南禅寺が,五山の第1に位列され,京都に五山禅院が出現した。ついで建仁寺・東福寺も五山となった。足利尊氏の建立した天竜寺も,41年(興国2・暦応4)五山に入った。その後臨川寺が五山とされるなど,若干の出入りがあったが,足利義満が相国寺を建立するに及んで,これを五山に列位させようとし,義堂周信の意見を入れて,86年(元中3・至徳3)南禅寺を五山の上,第1天竜寺,第2相国寺,第3建仁寺,第4東福寺,第5万寿寺という京都五山の寺格が最終的に確定した。
執筆者:藤岡 大拙
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五山制度のもとで最も格式の高い京都の五つの禅寺。天竜寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺の5寺。相国寺建立前に五山冒頭だった南禅寺は五山の別格上位とされた。
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…鎌倉にある臨済宗の五大禅刹,すなわち建長寺,円覚寺,寿福寺,浄智寺,浄妙寺をいい,京都五山に対する。中国南宋代の五山官寺制度が,日本に移植されたのは鎌倉時代末期のことで,1299年(正安1)執権北条貞時が浄智寺を五山に列したのが史料上の初見である。…
…後醍醐天皇も五山改定を行い,1333年(元弘3)に大徳寺を五山の一つとなし,翌年正月26日に南禅寺を五山第一と定め,2日後には南禅・大徳両寺を同格とし,建武年間には建仁寺や東福寺も五山となっている。足利尊氏が夢窓疎石を開山に天竜寺を創建すると,41年(興国2∥暦応4)足利直義は光厳上皇の院宣を得て,五山第一建長・南禅,第二円覚・天竜,第三寿福,第四建仁,第五東福,準五山浄智と各寺を定め,82年(弘和2∥永徳2)足利義満の相国寺創建がなると,86年(元中3∥至徳3)に五山之上南禅寺,第一天竜・建長,第二相国・円覚,第三建仁・寿福,第四東福・浄智,第五万寿・浄妙と京都五山を優位とする11ヵ寺を設定し,これが後世の五山位の基準となっている。 十刹は1334年(建武1)に五山となるまでの南禅寺が十刹位で,それが初見であり,建武年間には浄妙寺や豊後万寿寺が十刹に列せられている。…
…開基は九条道家,開山は円爾弁円(えんにべんえん)(聖一(しよういち)国師)。京都五山の一つ。1236年(嘉禎2)関白九条道家は法性(ほつしよう)寺の近隣,月輪(つきのわ)の山荘に一寺の建立を発願し,39年(延応1)には仏殿建立に着手した。…
※「京都五山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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