三味線音楽の一種目。日本の鉄道工業の先覚者平岡煕(ひろし)(1856―1934)が創始。日本音楽の各種目に通じていた平岡は、それぞれの長所を集めた高尚で優美な曲をつくり、吟舟(ぎんしゅう)の名で発表した。当初は「平岡節」とよばれたが、吟舟は1910年(明治43)ごろ「東明節」、さらに14年(大正3)ごろ「東明流」と名づけた。吟舟を慕う5世清元延寿太夫(きよもとえんじゅだゆう)、同栄寿郎(えいじゅろう)、稀音家浄観(きねやじょうかん)、高橋栄清(えいせい)らは、吟舟が考案した高度な技術を巧みに生かし、日本音楽の近代化に大きく貢献した。吟舟の次女揚子(ようこ)(1882―1949)は東明柳舟(りゅうしゅう)の名で父の遺志を継ぎ、夫の箒庵(そうあん)こと高橋義雄(1861―1937)の協力を得て、三味線音楽の新分野開拓を図った。その教えを受けたのが、5世岡安(おかやす)喜三郎や4世清元梅吉らである。60年(昭和35)に若舟(じゃくしゅう)(1916―89)が2世柳舟を襲名。代表曲は『妹背(いもせ)の鹿笛』『大磯(おおいそ)八景』『花の心』『富士見園女(そのめ)』など。
[倉田喜弘]
『高橋義雄著『平岡吟舟翁と東明曲』(1934・秋豊園)』
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…その新曲を世間では平岡節といったが,吟舟を名のった彼は1902年ころから東明節と称した。当時の一流芸能人がこれを学んだので流行,28年ころからは東明流と改めた。代表作品に《大磯八景》《向島八景》(ともに1902)がある。…
…こうしたことから晩年は芸能に力を入れ,1902年伝統的な三味線音楽の長所をとった新歌曲を作詞,作曲し,東明節を創始した。28年ころからは東明流と改称。代表作に《大磯八景》《向島八景》《都鳥》《東明獅子》などがある。…
※「東明流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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