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海防論 かいぼうろん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

海防論
かいぼうろん

江戸幕府の鎖国体制は,江戸時代中期から日本近海に出没しはじめた外国船に対して,沿岸防備の措置を講じなくては実効性が伴わなくなった。このための方策をめぐって,幕府内や民間有識者層の間に起った論議。特に初期の段階では,もっぱらロシアの南下政策が意識されて,たとえば仙台藩の工藤平助が老中田沼意次に対し,天明3 (1783) 年『赤蝦夷風説考』を呈して,蝦夷地の守備を論じている。近藤重蔵林子平らも,ロシア人の侵略意図を聞知して北辺の海防を力説した。特に林が著わした『海国兵談』は著名であるが,みだりに国防を論じるものであったため,寛政4 (92) 年,老中松平定信の処罰を受けた。しかし,田沼,松平ら幕閣首脳は,この間蝦夷地や江戸湾に海防設備を施行させており,このような幕府の意図にそって本多利明,最上徳内らが蝦夷地探検に尽力した。しかし文化期 (1804~18) 以降,ロシア使節 N.レザノフや,イギリス船『フェートン』号などが続々来航して通商を求める形勢となったので,幕府は異国船打払令を出すにいたり,これに伴って識者間の海防論も一層盛んとなった。佐藤信淵佐久間象山らがそれであり,彼らは日本も領土を拡張させて諸外国と対抗しうる状態をつくりださなくてはならないと説いた。海防論はやがて藤田幽谷らの水戸学に受継がれ,そののち,ペリー来航後の政局混乱期には,尊王派と佐幕派に分裂して論じられるようになった。

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デジタル大辞泉の解説

かいぼう‐ろん〔カイバウ‐〕【海防論】

江戸後期、ロシアの南下をはじめ外国船の来航に刺激されておこった国防論議。工藤平助林子平本多利明らの論説が出て、幕府も北方探検を行った。その後、状況の緊迫するなかで佐久間象山高橋景保ら論者が続出した。

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百科事典マイペディアの解説

海防論【かいぼうろん】

18世紀半ば以降西洋強国の船の日本近海出没,北方紛争などを契機に対外的危機を鼓吹すると同時に,その克服を目ざして展開された議論。狭義には対外的軍備拡充論をいう。
→関連項目異国船打払令海国兵談

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世界大百科事典 第2版の解説

かいぼうろん【海防論】

18世紀後期以後,西洋強国の日本への接近に対応して,対外的危機を鼓吹すると同時に,その克服を目ざして展開された議論。狭義では対外的軍備充実論をいう。いわゆる鎖国制度の成立以後,国際情勢は大きく変わるが,18世紀後半になると,まず北方からロシアが南下し,19世紀に入るころには,次いでイギリスが接近し,漸次対外的危機が問題となる。ただ,初期にはそれはまだ少数の識者の動向にすぎなかった。また西洋強国の海外への領土拡張が強く危惧されつつも,遠方の彼らから直接に軍事的侵略をうける危険は,必ずしも問題となっていない。

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大辞林 第三版の解説

かいぼうろん【海防論】

江戸中期以降、ロシアを初め諸外国船の日本近海出没に刺激されて起こった海防に関する論議。工藤平助・林子平らの北辺防備論、佐藤信淵・佐久間象山および水戸学の海防論など、幕末に特に隆盛となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

海防論
かいぼうろん

江戸後期、外国勢力の日本進出をいかにして阻止するかを説いた国土防衛論。海に囲まれた島国日本の国防論は、海防論として展開した。当時日本は鎖国下にあったが、とくに沿岸武備体制を敷いていたわけではなかった。しかし18世紀後半のロシア南下問題を契機として、識者の間に海防論が蝦夷(えぞ)地問題と絡んで盛んになった。まず仙台藩医の工藤平助(くどうへいすけ)は『赤蝦夷(あかえぞ)風説考』を著し、国防上・経済上の見地から蝦夷地開発およびロシアとの交易を主張、とくに、交易すればロシアの国情や人情がわかり、対策がたてやすくなることを指摘している。ついで林子平(しへい)は『海国兵談』『三国通覧図説』を著し、海軍の振興と大砲の整備充実を唱え、沿岸防備と蝦夷地開発の必要性を強調した。これに対して時の老中松平定信(さだのぶ)は、蝦夷地を開発せず不毛のままにしておくほうが、日本とロシアとの緩衝地帯になって国防上有益だと述べている。工藤平助の説は、のち本多利明(としあき)(『経世秘策』)や佐藤信淵(のぶひろ)(『混同秘策』)らによって継承発展され、受け身の海防策ではなく、むしろ貿易と海外植民地経営を積極的に推進すべきことが主張された。このほか当時の海防論としては、山鹿素水(やまがそすい)の『海備全策』、赤井東海の『海防論』、古賀(どうあん)の『海防臆測(おくそく)』などがある。しかし諸外国の船が日本近海を盛んに脅かす幕末期が近づくと、蝦夷地問題や貿易問題の是非に関係なく、沿岸武備充実の急務が叫ばれるようになり、やがて幕末期には、攘夷(じょうい)論や開国論へと展開していった。[竹内 誠]

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