朝日日本歴史人物事典 「東条琴台」の解説
東条琴台
生年:寛政7.6.7(1795.7.22)
江戸後期から明治初期の儒家,雑学者。江戸の医師東条黙斎庸貞の3男として芝宇田川町(東京都港区)に生まれる。次兄魯介は合巻,狂言作者花笠文京。琴台は名を信耕または耕といい,字子臧,無得斎,掃葉山房と号した。父に勧められ,大田錦城を始め山本北山の門下に師事。文化14(1817)年,錦城の高弟,美濃岩村藩士平尾他山の婿となって仕官。だが,2年経たずに妻と2歳の男児と全蔵書を残し,江戸市中へ失踪。文政7(1824)年林家入門。8年,江戸期儒者の伝記集成『先哲叢談』後編の執筆を慶元堂和泉屋庄次郎に頼まれ,着手。天保3(1832)年盛大な書画会開催で市中を賑わせた廉で林家除門。『先哲叢談』後編出版(1830)以後,名声いよいよ高く,天保期江戸雅文壇をしたたかな流行感覚で彩った。畑銀鶏や寺門静軒はその盟友。地誌海防論『伊豆七島図考』(1848)が発禁処分になり,先に仕官した越後高田藩へ謫居。在越18年,維新後,鎮将府に上京を命ぜられ,宣教少博士となった。『先哲叢談』後・続編の他に詩作書などの雑著も多く,手紙や稿本も残る。「掃葉山房蔵書」捺印の旧蔵書も多種みかける。<参考文献>ロバート・キャンベル「東条琴台伝記資料攷」上下(実践女子大学文芸資料研究所『年報』7巻10号)
(ロバート・キャンベル)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報