東油木村(読み)ひがしゆきむら

日本歴史地名大系 「東油木村」の解説

東油木村
ひがしゆきむら

[現在地名]油木町油木

西油木村の東に位置し、西方を東城路が通る。北は成羽なりわ川を挟んで小野おの村。享禄五年(一五三二)の油木吉備津きびつ神社棟札(油木八幡神社蔵)に「備後国神石郡豊松油木両村一宮」とみえ、元和五年(一六一九)の備後国知行帳でも油木村一村として高付されているが、元禄一三年(一七〇〇)備前検地で東西に分村、東油木村八八八石余となる。福山藩水野氏断絶ののち幕府領、享保二年(一七一七)以降豊前国中津藩領。

東油木には中世後期の城跡が多い。有元ありもと地区の権現山ごんげんやま城跡は権現山(六八三メートル)の頂にあり、北西安田やすだ川の峡谷で遮られ、東南に市場いちば集落や有元・高水池こうずいけ沃野を望む要害の地である。高野辺(部)氏が尼子氏配下として天文年中(一五三二―五五)に在城。山麓に「こうのべ屋敷」という地名があり、山頂に人工の跡が確認できる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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