東紺屋町(読み)ひがしこんやまち

日本歴史地名大系 「東紺屋町」の解説

東紺屋町
ひがしこんやまち

[現在地名]和歌山市東紺屋

広瀬通町二丁目から北に延びる通りに沿う町人町。元禄一三年(一七〇〇)の和歌山城下町絵図に「うら紺屋」とみえ、「紀藩街官司秘鑑」も異名裏紺屋うらこんや町とする。浄土真宗本願寺派念誓ねんせい寺がある。同派の源光げんこう寺は天正六年(一五七八)善久の開基中野島なかのしま村にあったが、元和年間(一六一五―二四)当地に移った。


東紺屋町
ひがしこんやちよう

[現在地名]千代田区神田東紺屋町かんだひがしこんやちよう岩本町いわもとちよう一―二丁目

明治二年(一八六九)神田紺屋町三丁目・同町代地・本銀ほんしろがね町会所屋敷・神田佐柄木かんださえき町代地・永富ながとみ町二丁目代地が合併して成立。同五年北側の旧武家地を編入。編入された地域はお玉が池おたまがいけとよばれた江戸時代前期以来の武家地の一角で、寛文新板江戸絵図によると戸田備後守・春日左衛門・津田平左衛門などの拝領屋敷。延宝年間(一六七三―八一)には春日左衛門・津田平左衛門・徳山五兵衛・加藤平内などが拝領していたが、宝永年間(一七〇四―一一)には津田家の跡地に横瀬駿河守、徳山家・加藤家の跡地に松平讃岐守頼豊(讃岐高松藩)が入っている。


東紺屋町
ひがしこんやまち

[現在地名]姫路市紺屋町

姫路城南の外曲輪に位置する町人町。大工だいく町の西に東西に延びる町筋。町名は紺屋が居住したことによるという(大正八年刊「姫路市史」)。慶長六年(一六〇一)の町割で成立。寛永八年(一六三一)の那波宗顕譲状(前川家蔵那波文書)に「こんや丁」とあり、慶安二年―寛文七年(一六四九―六七)の侍屋敷新絵図にも紺屋町とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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