日本歴史地名大系 「東里村」の解説 東里村とうさとむら 秋田県:平鹿郡雄物川町東里村[現在地名]雄物川町東里北流する雄物川東岸、由利郡から平鹿郡を横断する街道沿いに位置する。東は樽見内(たるみない)村(現平鹿町)、西は造山(つくりやま)村、北は西石塚(にしいしづか)村に接する。十三塚(じゆうさんづか)に縄文期・弥生期の遺跡があり、廻館(まわりだて)から須恵器が出土し、中世の館跡でもあった。享保一四年(一七二九)の平鹿郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)に「諸帳不出」とあり、同一五年の「六郡郡邑記」に家数二七軒とあり、枝郷は新屋(あらや)村三軒、カハ内村一一軒、北沢(きたさわ)村二軒、針貫田村七軒、水里(みずさと)村二七軒、東(とう)ヅキ村一四軒、廻り館(まわりたて)村一五軒とある。 東里村とうりむら 兵庫県:出石郡但東町東里村[現在地名]但東町東里日向(ひなだ)村の南西、太田(おおた)川の左岸、東里ヶ岳(六六三・七メートル)北面の谷間にある。近世の領主の変遷は三原(みはら)村に同じ。宝永二年(一七〇五)の検地帳(東里村文書)によれば高九一石余、宝暦二年(一七五二)の倉見領分高附帳(岡田家文書)でも高は同じ。氏神は下村(しもむら)神社で明治三年(一八七〇)に遷宮を行っている(棟札)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by