コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

松井直吉 まつい なおきち

4件 の用語解説(松井直吉の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松井直吉 まつい-なおきち

1857-1911 明治時代の化学者。
安政4年6月25日生まれ。大学南校アトキンソンにまなび,明治8年文部省の第1回留学生としてコロンビア大に留学。帝国大学工科大学教授,同農科大学教授兼学長などを歴任し,38年東京帝大総長となる。明治44年2月1日死去。55歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。旧姓は和田。

出典|講談社
デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

松井直吉

没年:明治44.2.1(1911)
生年:安政4.6.25(1857.8.14)
明治時代の化学者。大垣藩士和田政央の次男として大垣で生まれ,松井喜太郎の養子となった。大学南校を卒業後,明治8(1875)年文部省第1回海外留学生として渡米,コロンビア大鉱山学科に学んだ。帰国後,14年東大教授となり理学部で化学を教えた。23年以来長く帝大農科大(東大農学部)学長を務め,その間東大総長,文部省専門学務局長なども兼ね,文部行政に尽くした。東京化学会会長に前後5回選ばれ,「有田陶土の実験記」「原子説の沿革」「電気分解」「樟脳 の構造」などの化学の報告がある。外人教師の手を離れた明治初期の日本の化学の先導者。

(芝哲夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
朝日日本歴史人物事典について | 情報

大辞林 第三版の解説

まついなおきち【松井直吉】

1857~1911) 応用化学者・農芸化学者。美濃大垣生まれ。帝国大学農科大学教授・文部省専門学務局長として初期の化学教育にたずさわった。

出典|三省堂
大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松井直吉
まついなおきち
(1857―1911)

明治時代の化学者。岐阜の大垣に生まれる。大垣藩の貢進生として大学南校に入学、同校が改称された東京開成学校でアトキンソンに学び、1875年(明治8)文部省の第1回海外派遣留学生として化学の学習のためアメリカに留学した。ニューヨークコロンビア大学鉱山学科に入学、1880年卒業して帰国、東京大学理学部講師を経て、1881~1886年同学部教授となり化学を担当、1886年には東京大学工科大学教授となり応用化学を担当、1890年、帝国大学農科大学の設置に伴い教授となって化学を担当、また農科大学学長も務めた。東京化学会会長、文部省専門学務局長も務め、日本草創期の化学教育ならびに教育行政にあたった。[道家達將]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の松井直吉の言及

【化学】より

…アトキンソンRobert William Atkinson(1850‐1929),E.ダイバース(ともにイギリス人),ケルナーWilhelm Körner(1839‐1929),ロイプOscar Loew(1844‐1941)(ともにドイツ人)らが理学部,工学部,農学部等にいて,よく学生を育てた。一方,初期の留学生のなかから,日本の化学の中心となった松井直吉(1857‐1911),桜井錠二,長井長義(1845‐1929),柴田承桂(1850‐1910)らが出た。1878年今日の日本化学会の前身である化学会が,81年には日本薬学会,98年には工業化学会が設立され,この間,1886年には帝国大学令が施行されるなど,教育研究の体制は徐々に整備されていった。…

※「松井直吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

松井直吉の関連キーワード桂太郎内閣哥沢芝金岩石区スバル接触変成作用輝岩歌沢寅右衛門歌沢笹丸うた沢片岡仁左衛門

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone