日本大百科全書(ニッポニカ) 「松坂大輔」の意味・わかりやすい解説
松坂大輔
まつざかだいすけ
(1980― )
プロ野球選手(投手:右投右打)。西武ライオンズ(現、埼玉西武ライオンズ)、大リーグ(メジャー・リーグ)のボストン・レッドソックスでプレー。
9月13日、東京都生まれ。横浜高時代から、豪速球でその名を全国的に知られていた。1998年(平成10)には甲子園で春夏連覇を果たし、しかも、夏の大会では決勝戦でノーヒットノーランを達成、「平成の怪物」とうたわれた。同年のドラフト1位で西武ライオンズへ入団、1999年の1年目から最多勝に輝き、新人王となった。イチローとの初対決では3連続三振を奪い、また高卒新人では1970年(昭和45)の太田幸司以来となるファン投票選出でオールスターのマウンドも踏むなど、怪物の名に恥じない活躍ぶりであった。2000年(平成12)と2001年は、2年連続して最多勝と奪三振王の二つのタイトルを獲得した。2001年は15勝15敗と好不調の波が激しく、敗戦、被本塁打、四球もリーグトップであったが、リーグ最多完投、最多投球回と投げまくったことが評価され、初の沢村賞に輝いた。勝率5割の投手が同賞を手にしたのは初めてのことである。2002年は故障がちで6勝にとどまった。2003年は16勝をあげ、最優秀防御率と奪三振王に輝いた。2004年も最優秀防御率のタイトルを獲得し、リーグ優勝に貢献。中日ドラゴンズとの日本シリーズでも1勝をあげ、初の日本一を味わった。2005年は5月18日の対阪神タイガース戦で通算1000奪三振を達成するなど、自己最多のシーズン226三振を記録し、4回目の奪三振王を獲得。また14勝をあげてプレーオフ進出に貢献したが、ロッテに敗れて2年連続日本一を逸した。翌2006年3月、初の試みとなる国別対抗戦、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に日本代表のエースとして出場。最多の3勝をあげて世界一の立役者になり、大会の最優秀選手に選ばれた。公式戦(レギュラーシーズン)では6月16日の対横浜ベイスターズ(現、横浜DeNAベイスターズ)戦で通算100勝を達成。これは191試合目の到達で、1965年にドラフト制度が導入されてからの最速記録になった。この年西武ライオンズは公式戦2位でプレーオフに進出したが、第1ステージで敗退した。シーズン終了後、ポスティング(入札)制度によるメジャー移籍を表明。ニューヨーク・ヤンキースなどが応札したが、レッドソックスが5111万1111ドルで独占交渉権を獲得。12月、約1か月の交渉の末、6年総額5200万ドルで契約した。
[出村義和]
2007年以降
レッドソックス移籍1年目の2007年は、4月5日のカンザスシティ・ロイヤルズで大リーグ初登板。先発で7回を投げて勝利投手となり、デビュー戦を飾った。その後もローテーションの一角を担い、32試合に先発登板して15勝12敗。被安打、四死球が多く、防御率は4.40であったが、201奪三振はチームトップ、リーグ6位。プレーオフでは3試合に先発し、1勝1敗に終わったが、チームはリーグ優勝。ワールド・シリーズでは第3試合に先発して勝利投手となり、プレーオフ、ワールド・シリーズで勝利をあげた初の日本人選手となった。チームは3年ぶり、7回目のワールド・シリーズ優勝を飾った。
日本での8年間の通算成績は、登板試合204、投球回1402と3分の2、108勝60敗、セーブ1、防御率2.95、奪三振1355、完投72、完封18。獲得したおもなタイトルは、新人王、最多勝利3回、最優秀防御率2回、最多奪三振4回、沢村賞1回、ベストナイン3回、ゴールデン・グラブ賞7回。2011年までの大リーグでの通算成績は、登板試合106、投球回622と3分の2、49勝30敗、防御率4.25、奪三振568、完投1、完封0。
[編集部]