日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ボストン・レッドソックス
ぼすとんれっどそっくす
Boston Red Sox
アメリカのプロ野球球団。アメリカン・リーグ所属(東地区)。フランチャイズをマサチューセッツ州ボストンに置き、フェンウェイ・パークを本拠地としている。球団名の変遷は、ボストン・ソマーセッツ(1901年)―ボストン・ピルグリムス(1903年)―ボストン・レッドソックス(1907年)。
1901年のアメリカン・リーグ誕生と同時に加盟。1903年にピルグリムスと改称後、07年から現名称となった。初優勝は1903年。この年は初めてワールド・シリーズが行われたが、大方の予想を覆してピッツバーグ・パイレーツを降し「世界一」となった。1904年もリーグ優勝したが、ナショナル・リーグで優勝したニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)のジョン・マグロー監督がワールド・シリーズでの対戦を拒否。ワールド・シリーズは1905年から再開された。その後は、現本拠地が開場した1912年、15年、16年、18年とリーグ優勝し、いずれもワールド・シリーズを制した。原動力は投手陣の柱であり、強打も発揮したベーブ・ルースであったが、1919年を最後にルースはニューヨーク・ヤンキースへ放出された。これでヤンキースの黄金時代が始まり、レッドソックスは優勝できなくなった。最後の4割打者として知られるテッド・ウイリアムズが最優秀選手(MVP)となった1946年、カール・ヤストレムスキーが三冠王でMVPとなった67年、さらに両リーグ2地区制となり東地区に配属された69年以降にも75年、86年とリーグ優勝しながら、すべてワールド・シリーズ最終第7戦で敗退。「バンビーノ(ルースの愛称)の呪い」だといわれていた。とくに1986年などは、あとアウト一つで世界一という第6戦の延長10回裏に一塁手が打球をトンネルしてサヨナラ負けとなり、結局シリーズを落とした。豪球で「ロケット」の異名を取ったロジャー・クレメンスを擁して1988年と90年も地区優勝したが、リーグ優勝はできなかった。両リーグ3地区制が導入された1994年からも東地区所属となり、95年に地区優勝。1996年を最後にクレメンスはトロント・ブルージェイズへ移籍したが、同年、好打者ノマー・ガルシアパーラがデビュー。トレードで快速球右腕ペドロ・マルチネスが加入した1998年と、マルチネスが最多勝、最優秀防御率、奪三振王の投手三冠王でサイ・ヤング賞を受賞し、ガルシアパーラが初の首位打者を獲得した99年は2年連続してワイルドカード(リーグごとに各地区優勝チーム以外の最高勝率チームに与えられるプレーオフ進出の権利)でプレーオフに進出した。2003年と04年、05年にもワイルドカードとなったが、とくに速球投手カート・シリングをエースに迎えた04年はプレーオフで快進撃を演じ、ワールド・シリーズでセントルイス・カージナルスに4連勝して86年ぶりの「世界一」となった。
[山下 健]
2006年以降
2006年は地区3位。松坂大輔、岡島秀樹の2人の日本人投手を戦力に加えた2007年は6割近い勝率で地区優勝。プレーオフも勝ち進んでリーグを制し、コロラド・ロッキーズを降してワールド・シリーズ優勝を果たした。なお、そのほか日本人選手では、大家友和(おおかともかず)投手(1999~2001年)、野茂英雄(のもひでお)投手(2001年)がプレー。
1901年から2007年までの通算成績は、8540勝8026敗、地区優勝6回、リーグ優勝12回、ワールド・シリーズ優勝7回。
[編集部]