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松平斉民 まつだいら なりたみ

美術人名辞典の解説

松平斉民

美作津山藩主。幼名銀之助、字子政、号は確堂。徳川家斉の十四男、津山藩主斉孝の養嗣子。天保2年家督を継ぐ。徳川家達が幼少で将軍家の家督を継ぐと後見人として功績をあげる。風雅の趣味をもち書画を能くした。正三位に至る。明治24年(1891)歿、78才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松平斉民 まつだいら-なりたみ

1814-1891 江戸時代後期の大名。
文化11年7月29日生まれ。徳川家斉(いえなり)の14男。松平斉孝(なりたか)の養子となり,天保(てんぽう)2年美作(みまさか)(岡山県)津山藩主松平(越前(えちぜん))家8代。文武を奨励して人材を育成,藩論を勤王にまとめた。慶応4年徳川亀之助(家達(いえさと))の後見となる。明治24年3月23日死去。78歳。通称は銀之助。号は確堂。

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朝日日本歴史人物事典の解説

松平斉民

没年:明治24.3.23(1891)
生年:文化11.7.29(1814.9.12)
江戸後期の美作津山藩(岡山県)藩主。11代将軍徳川家斉の16男。三河守,号は確堂。藩内において学問を奨励し改革を進める一方,藩医で蘭学者の箕作阮甫らを重用し,ペリー来航に際しては開明的な開国論を幕府に上申し注目された。安政2(1855)年,養父斉孝の実子慶倫に家督を譲るが,その後も『康煕字典』の出版を企てるなど,学芸の分野でその教養を発揮。維新後,徳川宗家を相続した亀之助(徳川家達)の後見人となった。<参考文献>『岡山県史』9巻,『津山市史』5巻

(高木不二)

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