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松本重治 まつもとしげはる

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

松本重治
まつもとしげはる

[生]1899.10.2. 大阪
[没]1989.1.10. 東京
国際ジャーナリスト。祖父は初代東洋紡社長・松本重太郎,父は九州電軌社長・松本枩蔵 (まつぞう) 。 1923年東京大学法学部を卒業後渡米し,エール大学で数理経済学を,ウィスコンシン大学,ウィーン大学などで経済思想史を学ぶ。 1927年帰国して政治家・松方正義の孫・花子と結婚,翌年から東京大学に助手として勤務する。 1933年聯合通信 (のち同盟通信社 ) の上海支局長となり,編集局長,常務理事を歴任する。この間,日中和平,日米戦争回避に奔走した。第2次世界大戦後は,国際文化会館を設立したり,近衛文麿,吉田茂,池田勇人の外交政策ブレーンを務めるなど,民間人ながら「影の大使」といわれ国際交流に貢献した。著書に『上海時代』 (1975) ,『近衛時代』 (1987) などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松本重治 まつもと-しげはる

1899-1989 昭和時代のジャーナリスト。
明治32年10月2日生まれ。松本重太郎の孫。エール大など欧米の4大学にまなび,東京帝大などでアメリカ史を講義。昭和7年新聞連合(のちの同盟通信)の上海支局長となり,西安事件をスクープ,のち同盟通信編集局長,常務理事。戦後,国際文化会館理事長。アメリカ学会会長。51年文化功労者。平成元年1月10日死去。89歳。大阪出身。東京帝大卒。

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世界大百科事典 第2版の解説

まつもとしげはる【松本重治】

1899‐1989(明治32‐平成1)
国際ジャーナリスト,弁護士戦前戦中は同盟通信社上海支局長,戦後は国際文化会館長としてリベラルな立場から多くの国際的な文化事業に貢献した。神戸一中から大正デモクラシー時代の一高へ進み,ボート部で多くの友人をつくり,東大法学部卒業後はアメリカのイェール大学留学,歴史家C・A・ビアード恩師と慕った。帰国後,1927年(昭和2)松方花子と結婚,東大助手を務めながら29年の第3回太平洋会議,東京政治経済研究所の設立などに参加した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松本重治
まつもとしげはる
1899―1989

昭和期のジャーナリスト。大阪堂島に生れる。東京帝国大学法学部卒業後、欧米留学。1930年(昭和5)山政道(ろうやままさみち)らと東京政治経済研究所設立。1932年新聞聯合(れんごう)社(のちの同盟通信社)に入社し、支局長として上海(シャンハイ)に赴任、1938年の帰国まで同地に滞在。滞在中に西安事件のスクープで有名になる。この間、高宗武(こうそうぶ)(1906―1994)、周仏海ら一部国民政府要人との日中戦争和平工作にも関係する。1939年同盟通信社編集局長、1943年同常務理事。近衛文麿(このえふみまろ)側近の朝飯会メンバーでもあった。戦後公職追放となるが、1947年高木八尺(やさか)を助けてアメリカ学会設立に尽力、1952年会長となる。1951年知的交流日本委員会に参加、翌1952年には国際文化会館設立に尽力し、1965年からは理事長として活躍、国際交流に多大の貢献をなした。1968年から外務省参与を務める。1976年文化功労者となり、1980年マグサイサイ賞受賞。『上海時代』『近衛時代』等の著作で時代の証言者の役割も果たした。[有馬 学]
『牛山純一著「松本重治」(『言論は日本を動かす7』1985・講談社) ▽『追想松本重治』(1990・国際文化会館)』

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世界大百科事典内の松本重治の言及

【民報】より

…第2次大戦後,東京で最初に創刊された夕刊紙。松本重治,長島又男,栗林農夫(たみお)(一石路)らによって1945年11月30日発刊,民主主義革命のための政治新聞としての性格をもち,その社説はむしろ海外で注目された。物資欠乏の下,当局による用紙割当ては5万部,のち6万5000部であった。…

※「松本重治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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