日本大百科全書(ニッポニカ) 「松本重治」の意味・わかりやすい解説
松本重治
まつもとしげはる
1899―1989
昭和期のジャーナリスト。大阪堂島に生れる。東京帝国大学法学部卒業後、欧米留学。1930年(昭和5)蠟山政道(ろうやままさみち)らと東京政治経済研究所設立。1932年新聞聯合(れんごう)社(のちの同盟通信社)に入社し、支局長として上海(シャンハイ)に赴任、1938年の帰国まで同地に滞在。滞在中に西安事件のスクープで有名になる。この間、高宗武(こうそうぶ)(1906―1994)、周仏海ら一部国民政府要人との日中戦争和平工作にも関係する。1939年同盟通信社編集局長、1943年同常務理事。近衛文麿(このえふみまろ)側近の朝飯会メンバーでもあった。戦後公職追放となるが、1947年高木八尺(やさか)を助けてアメリカ学会設立に尽力、1952年会長となる。1951年知的交流日本委員会に参加、翌1952年には国際文化会館設立に尽力し、1965年からは理事長として活躍、国際交流に多大の貢献をなした。1968年から外務省参与を務める。1976年文化功労者となり、1980年マグサイサイ賞受賞。『上海時代』『近衛時代』等の著作で時代の証言者の役割も果たした。
[有馬 学]
『牛山純一著「松本重治」(『言論は日本を動かす7』1985・講談社)』▽『『追想松本重治』(1990・国際文化会館)』