松本重太郎(読み)マツモト ジュウタロウ

20世紀日本人名事典 「松本重太郎」の解説

松本 重太郎
マツモト ジュウタロウ

明治・大正期の実業家 第百三十国立銀行頭取



生年
天保15年10月5日(1844年)

没年
大正2(1913)年6月20日

出生地
丹後国竹野郡間人村(京都府)

旧姓(旧名)
松岡

別名
幼名=亀蔵

経歴
京都や大阪の呉服商勤めを経て、独立自営を志し松本重太郎と改名、輸入唐物類の仲介業を始める。明治3年大阪・心斎橋筋に洋反物・雑貨商“丹重”を開店。西南戦争の勃発した10年、軍服に用いられるラシャ(羅沙)の需要を見込み、大阪市内のラシャを一手に買い占めて成功する。11年第百三十国立銀行(大阪高麗橋)の設立に参画、取締役・支配人となり、13年頭取に就任。その後、第百三十六銀行、大阪興業銀行などを第百三十銀行に合併し、29年には明治銀行を設立、30年頭取となる。さらに阪堺鉄道(南海電鉄)などの鉄道業、大阪紡績(東洋紡績)などの紡績業や大阪麦酒(アサヒビール)など数多くの企業の創業に貢献し、五代友厚、藤田伝三郎に次ぐ関西財界の重鎮となった。37年引退。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 旧姓

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松本重太郎」の解説

松本重太郎 まつもと-じゅうたろう

1844-1913 明治時代の実業家。
天保(てんぽう)15年10月5日生まれ。輸入品の販売などで財をなし,明治11年第百三十国立銀行を設立して取締役兼支配人,13年頭取となる。大阪銀行集会所委員長をつとめ,山陽鉄道や日本紡績の社長をつとめるなどおおくの企業の経営にかかわった。29年衆議院議員。大正2年6月20日死去。70歳。丹後(京都府)出身本姓は松岡。幼名は亀蔵。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の松本重太郎の言及

【インバネス】より

…明治初年から,その着用が見られる。大阪の豪商松本重太郎は1870年(明治3)に,心斎橋通りでトンビ商を開いた。明治中期には二重回しとも言い,丈も変化し,黒地から縞物へ,また襟にラッコの毛皮をつけるのも流行した。…

※「松本重太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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