朝日日本歴史人物事典 「松本重太郎」の解説
松本重太郎
生年:弘化1.10.5(1844.11.14)
明治期の実業家。丹後国(京都府)竹野郡鳥取郷間人村の松岡亀右衛門の次男。幼名亀蔵。10歳のとき,京都五条通りの呉服商菱屋勘七方に丁稚奉公に出る。3年後,大坂天満の呉服商綿屋利八方に勤める。十数年後,独立自営を志して松本重太郎と姓名を改め,輸入唐物類の仲介業を始める。明治3(1870)年には心斎橋筋平野町で洋反物・雑貨商「丹重」を創業。7年の台湾出兵時に軍用毛布の買い占めを行い,10年の西南戦争に際しては軍用羅紗を買い占めるなど,豪胆な商法を展開した。11年に旧宮津藩,福知山藩の士族を中心勢力とする第百三十国立銀行(大阪高麗橋,資本金25万円)の設立に参画して取締役兼支配人となり,13年には頭取となった。その後第百三十六銀行,大阪興業銀行,小西銀行,京都西陣銀行を第百三十銀行に合併し,さらに福知山銀行,第八十七銀行なども傘下に加えた。そのほか29年に明治銀行を設立し,翌30年には頭取に就任。銀行業経営とならんで鉄道業の発達にも力を注ぎ,阪堺鉄道,浪速鉄道,山陽鉄道,阪鶴鉄道,七尾鉄道,豊州鉄道,讃岐鉄道の設立や経営に尽力した。紡績業の発達にも貢献し,大阪紡績,大阪織布,堂島紡績,日本紡績,毛斯倫紡績の経営にも関与した。また大阪麦酒,日本精糖,日本火災保険,日本教育生命保険などの設立にも参画した。37年に第百三十銀行の経営が破綻したが,それを機会に実業界から引退し,大阪空堀の邸宅で余生を過ごした。<参考文献>宮本又次編『上方の研究』4巻
(作道洋太郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報