デジタル大辞泉
「周仏海」の意味・読み・例文・類語
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しゅう‐ぶっかいシウ‥【周仏海】
- 中華民国の政治家。日本に留学の後、広東大学教授、国民党中央執行委員などを歴任。第二次世界大戦後、刑死。主著「三民主義之理論体系」など。(一八九七‐一九四八)
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周仏海
しゅうふつかい
Zhou Fu-hai
[生]光緒23(1897).湖南・陵
[没]1948.2.28. 南京
中国の政治家。京都帝国大学経済学部を卒業。日本留学中の 1921年7月中国共産党一全大会に留日代表として出席したが,まもなく転向し,24年帰国。大学教授を経て,26年の北伐には国民革命軍総司令部に勤務。 27年武漢の中央軍事政治学校の秘書長兼政治部主任。 29年以後,南京国民政府の訓練総監部政治訓練処処長,国民党中央執行委員を歴任。日中戦争勃発後の 38年国民党中央宣伝部長に任命されたが,汪兆銘らとともに反共和平運動を開始し,日本軍占領下の南京に中央政府を樹立して対日和平を実現しようとする計画を進め,40年汪兆銘を首班とする南京国府を樹立するとともに財政部長に就任。 45年日本の敗戦後,蒋介石に漢奸として逮捕され,南京の獄中で病死。主著『三民主義的理論体系』 (1928) 。
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周仏海 (しゅうふつかい)
Zhōu Fú hǎi
生没年:1897-1948
中国,現代の政治家。湖南省沅陵県人。日本の京都大学経済学部卒業,在学中1921年7月の中国共産党創立会議(第1回大会)に参加し,初期には書記代理に任ずるなど重要な役割を果たしたがまもなく転向,国民党に入党,広東大学,上海大夏大学教授となり,三民主義の論客として有名になった。29年国民政府訓練総監部政治訓練処長,37年国民党中央党部宣伝部長などを歴任したが,39年汪精衛らと南京に親日和平政権を樹立,戦後漢奸として逮捕され,獄死した。回想録《往矣集》(1944),《周仏海日記》(1955)などがある。
執筆者:小島 晋治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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周仏海
しゅうふつかい / チョオフーハイ
(1897―1948)
中華民国の政治家。湖南(こなん)省辰州(しんしゅう)県の人。京都大学経済学部卒業。在学中、留日代表として中国共産党第1回全国代表大会に出席したといわれる。まもなく脱党。1924年帰国後、国民党内で宣伝、理論活動に従事した。1935年同党第5期中央執行委員。日中戦争勃発(ぼっぱつ)後、汪兆銘(おうちょうめい)と行をともにし、傀儡(かいらい)政権南京(ナンキン)国民政府で財政部長などの要職についたが、日本の敗戦後逮捕され、獄死した。主著に『三民主義之理論体系』がある。
[石島紀之]
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周仏海【しゅうふっかい】
中国の政治家。湖南省の人。日本留学中に中国共産党に入党したが,まもなく転向,1924年国民党入党。三民主義の理論家として重きをなす一方,政府の要職を歴任した。1938年末汪兆銘と重慶を脱出し,傀儡(かいらい)政権新国民政府の要職についた。戦後戦犯として獄死。没後《周仏海日記》が公刊された。
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周仏海(しゅうふつかい)
Zhou Fohai
1897~1948
中国の政治家。湖南省沅陵(げんりょう)県の人。一時中国共産党に入党,のち国民党で汪兆銘(おうちょうめい)との関係を深め,日中戦争中は和平運動を汪と行い,南京における日本の傀儡(かいらい)政権に協力した。日中戦争後,戦犯として獄死した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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周仏海 しゅう-ふつかい
1897-1948 中国の政治家。
光緒23年生まれ。日本留学中の1921年中国共産党創立大会に参加。京都帝大を卒業し,1924年帰国。国民党にくわわり,広東大などの教授となり,中央執行委員などを歴任。1940年汪兆銘(おう-ちょうめい)らと南京に親日政権をつくり,行政院副院長などをつとめる。第二次大戦後,戦犯として逮捕され,1948年2月28日獄死。52歳。福建省出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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周 仏海 (しゅう ふつかい)
生年月日:1897年5月29日
中国の政治家
1948年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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