松枝庄(読み)まつえだのしよう

日本歴史地名大系 「松枝庄」の解説

松枝庄
まつえだのしよう

旧葉栗郡の荘園。初め松枝保と記され、承久二年(一二二〇)一一月二九日付西園寺家家領相博状案(大徳寺文書)を荘名としての初見とする。同文書に

<資料は省略されています>

とみえ、東で長講堂領門真上門真かみかどま)庄と、西で賀茂別雷かもわけいかずち神社領玉井たまのい庄と境を接し、南は葉栗・中島の郡界、北は黒田くろだ(木曾川、またはその支流か)で区切られていた。現在の内割田うちわりでん外割田そとわりでん地名は、松枝庄内破田わりでん郷の遺称と考えられ、松枝庄をこの辺りに比定できる。鎌倉街道の黒田宿の西南に位置する。

成立年代は不詳であるが、「平家没官領(「吾妻鏡」建久三年一二月一四日条)とあることから、初め松枝保といわれ国衙領であったが、平治の乱後、平氏領とされ、鎌倉政権の成立後没官領とされたと推定される。頼朝はこれを妹の一条能保の室に与えて一条家領となったが、関東御領に準ずる所領とみることができる。文治六年(一一九〇)には、内宮役夫工料地頭未済の所々のうちにあげられている(「吾妻鏡」同年四月一九日条)

松枝庄
まつえだのしよう

尾張国葉栗はぐり郡に成立した庄園。庄域は現愛知県葉栗郡木曾川きそがわ町の割田わりでん地区を含み、南は同県一宮市の北部、北は現笠松町の松枝地区に及んでいたとみられるが、確かなことは不明。

吾妻鏡」建久元年(一一九〇)四月一九日条に、伊勢神宮使より内宮役夫工米の地頭未済を訴えられた所領の一所として尾張国松枝保がみえる。松枝領は平家没官領であり、源頼朝の妹一条能保室に譲られていたが、同年四月に彼女が没すると、能保は松枝など「亡室遺跡廿ケ所」を男女子息に譲っている(同書建久三年一二月一四日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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