松田利七(読み)マツダ リシチ

20世紀日本人名事典 「松田利七」の解説

松田 利七
マツダ リシチ

大正・昭和期の実業家,俳人 初平店主。



生年
明治13(1880)年2月15日

没年
昭和42(1967)年9月10日

出生地
岡山県後月郡西江原村(現・井原市)

別名
号=初平

学歴〔年〕
スタンフォード大学(M38年)中退

主な受賞名〔年〕
山陽新聞賞〔昭和41年〕

経歴
鐘ヶ淵紡績や民営煙草会社の上海支店などに勤務したのち、明治35年アメリカに渡り、スタンフォード大学で応用社会学を学ぶ。しかし、38年病気のために中退して帰国、しばらくは岡山県立工業学校で英語教師を務めた。大正2年岡山市内に果物珍味の販売店「初平」を開店。通信販売を開始するなど、独自の販売法で顧客を摑むとともに、新しい味の追求にも余念がなく、直営果樹園で科学知識を応用した研究に従事。特に、果物では桃・ブドウ・梨、珍味では桜鯛子塩辛・小鳥粕漬けなどを扱い、全国に岡山の特産品を普及させた。また、電気釜を使った鯛の浜焼き考案したことでも知られる。屋号と同じ初平の号で自由律俳句も嗜み、中塚一碧楼らとも親交した。昭和41年山陽新聞社賞を受賞。著書に「蒜の神話」「土壌圧力測定報告」「ぬたくたの記」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松田利七」の解説

松田利七 まつだ-りしち

1880-1967 大正-昭和時代の実業家。
明治13年2月15日生まれ。大正2年岡山市に果物と珍味の店「初平(はつへい)」を開業,直営の果樹園で栽培の工夫をかさねる。電気釜による鯛(たい)の浜焼きも考案。中塚一碧楼と親交があり,俳句をよくした。昭和42年9月10日死去。87歳。岡山県出身。スタンフォード大中退。号は初平。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

戒厳令

一般的には指定地域で、国の統治権の全部または一部を軍に移行し、市民の権利や自由を保障する法律の一部効力停止を宣告する命令。戦争や紛争、災害などで国の秩序や治安が極度に悪化した非常事態に発令され、日本...

戒厳令の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android