林献堂(読み)リン ケンドウ(その他表記)Lin Xien-tang

20世紀日本人名事典 「林献堂」の解説

林 献堂
リン ケンドウ

昭和期の実業家,民族運動家 貴院議員。



生年
光緒7年10月22日(1881年)

没年
昭和31(1956)年9月8日

出生地
台湾・台中

別名
名=朝琛,号=灌園

学歴〔年〕
霧峰公学校修了

経歴
台湾・台中の大地主の家に生まれる。実業家として台湾製麻、大東信託、台湾新民報などの社長歴任。一方、梁啓超の影響を受け、台湾議会設置請願運動や台湾文化協会設立などに参加した台中庁参事、台中州協議会員、台湾総督府評議員などを務め、昭和20年貴院議員。戦後、国民政府と相容れず24年事実上日本に亡命した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「林献堂」の意味・わかりやすい解説

林献堂
りんけんどう
Lin Xien-tang

[生]1881
[没]1956. 東京
台湾の政治活動家,文化活動家。台湾台中の人。本名は林大椿。1920年「台湾議会設置請願書」を日本の国会提出。同年成立した台湾文化協会の総理となる。1923年『台湾民報』社長となり白話文を提唱する。1927年台湾文化協会の分裂に際しては,右翼陣営の代表となる。1929年『台湾新民報』社長。1930年台湾地方自治同盟を結成。第2次世界大戦後は国民党に入党し,台湾で参議員,省府委員などを歴任。1949年渡日,のち死去

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林献堂」の解説

林献堂 りん-けんどう

1881-1956 台湾の実業家,民族運動家。
光緒7年生まれ。生家は台中県の大地主。銀行などを経営するかたわら,梁啓超(りょう-けいちょう)の影響をうけ,台湾議会設置請願運動,民族主義団体の台湾文化協会の設立などを指導する。戦後国民政府とあわず,昭和24年事実上日本に亡命。昭和31年9月8日東京で死去。76歳。名は朝琛。号は灌園。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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