日本歴史地名大系 「枝吉城跡」の解説 枝吉城跡しきつじようあと 兵庫県:神戸市西区吉田村枝吉城跡[現在地名]西区枝吉四丁目明石川下流右岸の印南野(いなみの)台地上にあった中世の城跡。遺構は台地端に突き出しており、北端部を掘切り台地と隔絶していた。比高一五メートル、東西一五〇メートル・南北一一〇メートルで、北側に土塁を築いていたが、現在神本(こうのもと)神社を除いて住宅地となり消滅した。昭和四二年(一九六七)に一部発掘調査が行われ礎石などが検出されている。国人明石氏の本城で史料上は「明石の城」「明石之城」などとみえる。東に接する報恩(ほうおん)寺が永享元年(一四二九)開基との伝承をもつので(明石記)、同じ頃には存在したと考えられる。天文八年(一五三九)四月八日、赤松政村は淡路の岩屋(いわや)(現淡路町)から細川持隆の援助を受け人丸(ひとまる)山(現明石市)に陣を置き「明石の城」を攻めた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by