…職人としての紺搔の誕生は中世初期にさかのぼるが,近世になって紅師,紫師,あるいは茶染師といった職人もあらわれた。こうした紺搔以外の染物職人は中世末期には染殿(そめどの)と呼ばれていたが,やがて染物業者のすべてを紺屋とも呼ぶようになった。染料は植物性のもので,原料植物によってその処理や染色のしかたにちがいがあったため,職人の分化が起こったものと思われる。…
…858年(天安2)清和天皇即位とともに皇太夫人,864年(貞観6)皇太后,さらに882年(元慶6)太皇太后となった。文徳,清和,陽成,光孝,宇多,醍醐の6代50年にわたり,〈染殿(そめどの)の后〉と呼ばれて後宮に重きをなした。良房が〈年経れば齢は老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし〉と詠じて,明子を桜花にたとえた話は名高い。…
※「染殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」