日本歴史地名大系 「柱本村」の解説
柱本村
はしらもとむら
- 大阪府:高槻市
- 柱本村
「台記」久安四年(一一四八)三月二一日条に「宿柱本辺、今夜密召江口遊女於舟中」とみえ、淀川河津の一であった。柱本が港湾集落として登場するのは院政期になってからで、「山槐記」治承四年(一一八〇)七月一八日条に「未剋於古河乗船、於今津日入、秉燭之後、留船於柱本差饌、月出々船」とあり、柱本付近は今津ともよばれた。「古今著聞集」巻一二の「後鳥羽院強盗の張本交野八郎を召取らるる事」、巻一六の「中間法師山伏鋳物師同宿し山伏偽りて遊女を侵し後朝争論の事」にみえる今津も柱本のことと考えられるが、単なる泊津ではなく乗継ぎの船宿もあったことは、治承四年七月の涸水期に
柱本村
はしらもとむら
北方村の南に位置し、
柱本村
はしらもとむら
- 和歌山県:橋本市
- 柱本村
河内国との境、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報