柳原資廉(読み)やなぎわら すけかど

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柳原資廉」の解説

柳原資廉 やなぎわら-すけかど

1644-1712 江戸時代前期-中期公卿(くぎょう)。
寛永21年6月30日生まれ。天和(てんな)元年権(ごんの)大納言となり,のち従一位。元禄(げんろく)14年勅使として江戸城におもむいた際,赤穂(あこう)藩主浅野長矩(ながのり)の刃傷(にんじょう)事件にであう。正徳(しょうとく)2年9月25日死去。69歳。著作に「資廉日記」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「柳原資廉」の解説

柳原資廉 (やなぎわらすけかど)

生年月日:1644年6月30日
江戸時代前期;中期の公家
1712年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の柳原資廉の言及

【柳原家】より

…藤原氏北家冬嗣の兄真夏の子孫で,日野家の支流。〈やなぎわらけ〉ともいう。権大納言日野俊光の四男権大納言資明(すけあき)を祖とし,鎌倉末期に創立された。柳原資明は日野資朝の弟で,長兄資名が光厳天皇の寵臣であったため,北朝に仕えて勢力を張り,柳原殿に住したのにちなんで柳原を姓とした。世々紀伝道をもって出身し,多くは文章博士に任ぜられたが,1471年(文明3)量光が文章博士に任じたのを最後に紀伝道を世襲する伝統が断絶した。…

※「柳原資廉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」