朝日日本歴史人物事典 「柳川調信」の解説
柳川調信
生年:生年不詳
安土桃山・江戸時代初期の対馬宗氏の重臣。通称は甚三郎,権之輔。従五位下,下野守となる。出自不詳。天正7(1579)年朝鮮に渡った「日本国王使」のなかに私貿易管轄官として名前がみえる。中央政権との折衝や朝鮮貿易経営に才覚を発揮,急速に勢力を拡大し宗家の重臣となる一方で,豊臣・徳川政権,朝鮮政府からも重んじられた。豊臣秀吉の朝鮮侵略から日朝外交復活に至る時期には,島主宗義智や外交僧景轍玄蘇らと協力して,対馬の立場を守るため尽力した。しかし,柳川氏の中央政権や朝鮮政府との強力な結び付きは,のち孫の調興が宗氏との間に争論(柳川一件)を引き起こす原因となった。
(鶴田啓)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報