柳川調信(読み)やながわ しげのぶ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柳川調信」の解説

柳川調信 やながわ-しげのぶ

?-1605 織豊-江戸時代前期の武士
対馬(つしま)(長崎県)府中藩重臣文禄(ぶんろく)・慶長の役前後の朝鮮外交に活躍,豊臣・徳川との交渉にもあたる。関ケ原戦い西軍に味方した藩の苦境弁明,陳謝して本領安堵(あんど)につくした。慶長10年9月死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の柳川調信の言及

【宗義智】より

…文禄・慶長の役に小西行長とともに活躍,肥前に領知1万石を与えられた。戦後も重臣柳川調信(しげのぶ)らと国交回復に尽力した。1605年(慶長10)講和が成立,以後朝鮮関係の独占を許された。…

【柳川一件】より

…1631年(寛永8)対馬の大名宗義成(そうよしなり)と家老柳川調興(しげおき)の御家騒動から,日朝間の国書の偽作・改竄(かいざん)などの不正が露顕して,幕府外交上の大問題となった事件。柳川氏は調興の祖父調信の代に日朝関係の実務派として台頭,朝鮮と日本の中央政権の双方に独自の地位を築いていた。この事件は,35年,将軍徳川家光の親裁によって調興方の有罪に決し,義成はひきつづき日朝関係の管掌を認められた。…

※「柳川調信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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