柿原城跡(読み)かきばるじようあと

日本歴史地名大系 「柿原城跡」の解説

柿原城跡
かきばるじようあと

[現在地名]熊本市花園七丁目

柿原の住宅地の北側背後の台地上にあり、じようはる地名が残る。内堀跡の一部が幅一五メートル・長さ五〇メートルの窪地として現存し、堀畑ほりばたけと称し、城跡西端と伝えられる窪地を天神堀てんじんぼり、本丸南端をいんの馬場ばばと称している。「事蹟通考」によれば、鹿子木親員(寂心)が隠居後当城に住んだとする。しかし「古城考」は「始を不知」とし、親員の孫鑑員が在城し、天文一九年(一五五〇)鑑員が円徳えんとく寺で殺害されたのちは、城氏の支配するところとなったという。


柿原城跡
かきはらじようあと

[現在地名]吉野町柿原

吉野川に架かる阿波中央あわちゆうおう橋の東方堤防下に位置した。現在は堤敷や水田になっており、遺構は残らない。柿原氏が拠ったといい、「故城記」に「柿原殿 源氏 五骨扇、中ニ松」とあり、「古城諸将記」には「柿原源吾 源氏 五十貫 紋五本骨扇之内ニ松 上桜の幕下」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android