日本歴史地名大系 「柿島村」の解説 柿島村かきしまむら 静岡県:静岡市旧安倍郡地区柿島村[現在地名]静岡市柿島・上落合(かみおちあい)安倍川支流の中河内(なかごうち)川左岸に位置し、南は池(いけ)ヶ谷(や)村。中河内川上流の仙俣(せんまた)川との合流点付近の上落合は当村の枝郷とされる(駿河記)。現在の柿島は北の長妻田(ながつまた)・油野(ゆの)を挟んで南北の二地区で構成され、北地区が近世の上落合にあたる。永禄六年(一五六三)五月二六日に今川氏真が朝倉六郎右衛門尉に与えた安部西河内(あべにしごうち)の諸村の棟別銭を免除する判物(写、判物証文写)に一三ヵ所の一つとして「柿嶋」が含まれている。同一〇年一〇月の安倍川中流やその支流の中河内川・西河内川流域の諸村を書上げた貫高注文写(宮本勉氏所蔵文書)に朝倉六兵衛の名で「山屋敷柿嶋村」五貫五〇〇文とある。 柿島村かきじまむら 新潟県:西蒲原郡巻町柿島村[現在地名]巻町柿島大通(おおどおり)川左岸に形成された鎧(よろい)潟縁辺村々の一つ。西は河井(かわい)村、北東に山島(やまじま)村新田、南は馬堀(まぼり)村に接する。元和四年(一六一八)の長岡藩知行目録に村名はみえないが、寛永一一年(一六三四)三根山領となった(「長岡懐旧雑記」長岡の歴史)。正保国絵図でも高一〇〇石余で同領となっている。慶安二年(一六四九)に長岡藩の検地を受けた(西蒲原郡誌)。元禄五年(一六九二)三根山領の六千石秋勘定帳(和納区有文書)でも村名がみえるが、同一一年の榊原式部大夫殿領分四万石拾ケ組絵図面(霜鳥家文書)では長岡藩領となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by