栢木村(読み)かやぎむら

日本歴史地名大系 「栢木村」の解説

栢木村
かやぎむら

[現在地名]久住町栢木 栢木

柚野木ゆのき村の北東大石おおいし川右岸に位置。正保郷帳に村名がみえ、朽網くたみ郷に属し、田高三八石余・畑高一三〇石余。弘化物成帳では栢木組のうち、村位は中、免四ツ六分、田一四八石余(一五町五反余)・畑一四六石余(二七町七反余)、屋敷四石余(四畝余)で、開田七斗余(三反余)・開畑一二石余(二五町二反余)がある。旧高旧領取調帳では高一〇二石余。中川秀成は入封後、当村古庄氏を岡藩領栢木組千石庄屋(のち大庄屋)任命、当村は同組の中心であった。安永年間(一七七二―八一)大庄屋制が手直しされ、古庄善左衛門は頭取大庄屋になった(地方温故集)。小制札場が設けられていた(岡藩御覧帳細注)。享保九年(一七二四)の耶蘇宗門并類族改帳(武藤家文書)によれば、類族二人がいた。


栢木村
かいのきむら

[現在地名]富来町栢木

酒見さかみ川の中流域、大鳥居おおとりい村の南西にある。天正一二年(一五八四)九月六日、栢木村氏子が大願主となって愛宕将軍地蔵社を建立している(高爪神社所蔵鎮座札)。同一三年二月二一日の前田利家印判状(高爪神社文書)には「かやの木村」とみえ、大福だいふく寺の堂の上葺を利家より命ぜられている。正保郷帳は大鳥居村と合せて高付。寛文一〇年(一六七〇)の村御印には高二二五匁、免四ツ七歩、小物成は山役一五八匁・苦竹役一六匁、鳥役二匁(出来)とある(三箇国高物成帳)


栢木村
かやのきむら

[現在地名]庄内町阿蘇野あその かやなど

花牟礼はなむれ山南麓に位置し、東は伊小野いおの村。南北は山が迫り阿蘇野川沿いの狭い谷間に位置する。直入なおいり郡に属し、岡藩領阿蘇野組(農民一揆)。正保郷帳では柏野木村と記され田高三八石余・畑高三一石余、阿蘇野郷に所属。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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