大鳥居村(読み)おおとりいむら

日本歴史地名大系 「大鳥居村」の解説

大鳥居村
おおとりいむら

[現在地名]若松区大鳥居・青葉台南あおばだいみなみ一―三丁目・青葉台東あおばだいひがし一丁目・青葉台西あおばだいにし一丁目・同三丁目・高須北たかすきた一丁目・高須東たかすひがし一―二丁目など

乙丸おとまる村の南、川の北岸に位置する。江川を隔てて南東は小敷こしき村、江川に注ぐしようの江(現在の坂井川)を隔てて東は蜑住あまずみ村。集落として「続風土記拾遺」は本村および大浦おおうらしよううらをあげ、「地理全誌」は本村と大浦・庄江しようのえの三ヵ所とする。かつて麻生氏が下野宇都宮うつのみや(現栃木県宇都宮市)白山権現の分霊を小嶽おだけ(小竹)に勧請した際(現小竹の白山神社)、当地に大鳥居を建立したと伝え、この大鳥居が村名の由来となったという(続風土記)。小早川時代の指出前之帳では有毛ありげ村の枝郷として扱われ、同村に含まれて高付されている。


大鳥居村
おおとりいむら

[現在地名]関金町大鳥居

安歩あぶ村の西に位置し、大山道(川床道)が通る。大鳥井とも記した(在方諸事控)。村名は当地の大山の東の鳥居が一の大鳥居と称されていたことにちなむという。北に支村の小鳥居ことりい村があったが、寛文一〇年(一六七〇)以前に領内限り一村になったと考えられる。拝領高は二九四石余、本免は六ツ四分。藪役銀七匁・草役札米二石余を課されていた(藩史)。貞享五年(一六八八)の土免状写(石田家文書)には高三二一石余とみえ、うち高五四石余は亀井開とある。享保二〇年(一七三五)江北えきた(現北条町)の磯江家先祖書(在方諸事控)によれば、亀井茲矩から磯江平兵衛が扶持として当地の新田高一三〇石余を与えられたという。


大鳥居村
おおどりいむら

[現在地名]多度町大鳥居

揖斐いび川の右岸に近く、沖積平野の中にあって、多度町の南東隅、南は今島いまじま(現桑名市)と境を接する。古くは中須なかず南之郷みなみのごうとともに、一輪中であったという(多度町史)。昔ここに多度神社、一説には野志里のしり社の鳥居があったのが村名の由来という(三国地志)元禄郷帳では大鳥井村となっている。戦国時代の末、ここに水谷与三兵衛盈吉が大鳥居城を構え、長島一向一揆の五大拠点の一つとして、織田信長軍を悩ました。「信長公記」天正二年(一五七四)七月一五日条に「大鳥居攻衆 柴田修理亮、稲葉伊予守、同彦六、蜂屋兵庫頭、今嶋に陣取り」とあり、「八月二日の夜、以の外風雨候。


大鳥居村
おおどりいむら

[現在地名]森町大鳥居

城下しろした村の北にあり、東に太田おおた川が南へ、南西を三倉みくら川が南東へ流れて合流する。周知すち郡に属する。慶長九年(一六〇四)の山野之庄天方郷大鳥居村検地帳(小沢家文書)によれば、田畑計八町四反余、屋敷は当村分五反余で下天方しもあまがた・城下との合計が二町二反余。江戸時代初期以降掛川藩領で、寛永二一年(一六四四)の掛川領三万石郷村高帳では高九一石余。正保郷帳では高一〇一石余、うち田方七〇石余・畑方二一石余が掛川藩領で、ほかに八幡領五石・蔵雲ぞううん寺領四石・天王領一石。


大鳥居村
おおどりいむら

[現在地名]大津市上田上大鳥居町かみたなかみおおとりいちよう

まき村の東にあり、東は甲賀郡黄瀬きのせ(現信楽町)。田上道が通る。地名は「輿地志略」によれば昔当地に住んでいた飛騨の内匠といわれる大工が中国へ渡ろうと大きな鳥の形の乗物を作ったことに由来するという。「近江栗太郡志」は飯道はんどう神社(現信楽町)の鳥居があったからという説も紹介している。文明一〇年(一四七八)銘の安楽あんらく寺棟札写に「金勝庄大鳥村」とあり、文禄二年(一五九三)稲荷神社紀には「上郷牧之庄、大鳥居邑」とある。天正一一年(一五八三)八月の浅野長吉知行目録(浅野家文書)に「大とりゐ」二〇九石とある。江戸期を通じて膳所藩領。寛永石高帳に村名がみえ、高二四五石余。


大鳥居村
おおとりいむら

[現在地名]富来町大鳥居

高爪たかつめ(三四一メートル)東麓酒見さかみ川の支流しん川上流部に位置する山村。新川下流は草江そうご村。高爪神社の大鳥居があったと伝える(能登名跡志)。正保郷帳では栢木かいのき村と合せて高付、高二五六石余、田一一町九反余・畑五町一反余、免三ツ七歩。寛文一〇年(一六七〇)の村御印には高四八石、免四ツ六歩、小物成は山役一一四匁、鳥役一匁(出来)とある(三箇国高物成帳)


大鳥居村
おおどりいむら

[現在地名]袖ケ浦市大鳥居

小櫃おびつ川左岸に位置し、久留里くるり道で東の横田よこた村に通じる。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高二〇九石。寛文四年(一六六四)には高岡藩領があった(寛文朱印留)。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳には大鳥井村と記され、家数四六、三卿の清水領と旗本玉虫領。文化一二年(一八一五)の捉飼場村々書上帳では清水領は幕府領になっており、旧高旧領取調帳でも同じ。


大鳥居村
おおとりいむら

[現在地名]北部町大鳥居

坪井つぼい川左岸の台地上にあり、東は合志こうし郡竹迫手永の鳥栖とりのす(現菊池郡西合志町)、西は楠原くすばる村、南は梶尾かじお村に接する。「国誌」によれば、五町手永に属し、村名は鹿子木氏が楠原城在城時に、この地に大鳥居を建て阿蘇宮を遥拝したためという。明和元年(一七六四)の地引合帳によれば、田方五反二畝余・畑方二一町二反五畝余で、ほとんどが畑である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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