根白石村(読み)ねのしろいしむら

日本歴史地名大系 「根白石村」の解説

根白石村
ねのしろいしむら

[現在地名]泉市寺岡てらおか二―六丁目・根白石

田中たなか村の北東七北田ななきた川の河岸段丘上に立地。南から西にかけては平坦地で七北田川が南東流、北東部に蛇石へびいし山・堂庭どうにわ山・石倉いしくら山など、西に花輪はなわ山がある。判在家はんざけに地名起源伝説の石がある。源頼朝が奥羽出兵の帰途七ッ森ななつもりで巻狩をした際、一頭の大鹿を見つけた。畠山重忠和田義盛が追い鹿を射たが、近寄って見たところ鹿ではなく根元の白い石であった。そこで頼朝はこの地を根白石とよばせたという。天保(一八三〇―四四)村人が石に石神と彫り、信仰の対象となっている。またこの石が土中を伸び白石しろいしに先端を出しているといわれ、白石の石も神石として保護されている。

館下たてした白石城跡がある。「古城書立之覚」に「平城 東西六十六間、南北三十間、右此城主白石三河と申者御座候、其子孫白石勘之助ト申者御座候、右城只今ハ宝積寺申寺場ニ罷成候」とある。高さ約二〇メートル、東西一〇〇メートル、南北八〇メートルのほぼ方形に近い平場があり、城跡の背後、西と北から東へと鉤形に高さ三メートルの土塁が巡り、外周に深さ三メートル、幅一〇メートルの空堀がある。「伊達世臣家譜」に「白石三河に男子なきにより国分能登の三男白津、初称白石、苗跡に立て候、三河以前は不承伝候」とある。白石家は代々短命なので長命の津田家の津を併せて白津にしたのは二代藩主忠宗であるという。白津氏は、のち村に移り住む。平姓国分系図(「宮城県史」所収)によると、国分宗政の子景氏が享禄元年(一五二八)国分の臣白石三河景徳の養子となり、白石正次郎と称して根白石に住し、天正七年(一五七九)没している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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