日本大百科全書(ニッポニカ) 「桃水雲渓」の意味・わかりやすい解説
桃水雲渓
とうすいうんけい
(1612―1683)
江戸初期の曹洞(そうとう)宗の禅僧。号は桃水、また洞水ともいう。筑後(ちくご)(福岡県)柳川(やながわ)の商人の子として出生。6歳のころ肥前(佐賀県)武雄(たけお)の円応寺の圍巌宗鉄(いがんしゅうてつ)に就いて出家。20歳を過ぎて諸国に遊学し、大愚宗築(たいぐそうちく)(1584―1669)、雲居希膺(うんごきよう)(1582―1659)、沢庵(たくあん)などの禅匠に歴参。やがて熊本の流長院に移った師の下に帰り、1657年(明暦3)圍巌の法を嗣(つ)ぐ。大坂、肥後、島原などの寺を歴任、しだいに名声が高まったが、島原の禅林寺を最後に寺を出奔。乞食(こつじき)の群れに身を投じ、草鞋(わらじ)や酢を売って生計をたて、乞食桃水、酢屋道全(すやどうぜん)と称された。風狂、散聖の人として知られる。面山瑞方(めんざんずいほう)の著『桃水和尚伝賛(おしょうでんさん)』がある。
[藤井教公 2017年9月19日]
『田中忠雄著『乞食桃水』(1975・曹洞宗宗務庁)』