日本大百科全書(ニッポニカ) 「桓譚」の意味・わかりやすい解説
桓譚
かんたん
(前40―後31)
中国、後漢(ごかん)初頭の思想家。字(あざな)は君山。沛(はい)郡(安徽(あんき)省)の人。著書に『新論』29巻がある。17歳のとき成帝朝に出仕。今文(きんぶん)章句訓詁(くんこ)の学を好まず、古文派で能文家であった。とくに揚雄(ようゆう)とは師友の交わりを結び、劉歆(りゅうきん)などと論議を闘わせた。後漢の初め議郎給事中となり、儒者の宗と目された。のちに、光武(こうぶ)帝が信奉する図讖(としん)によって事を決しようと下問した際、老骨に鞭(むち)打ち諫言(かんげん)し、「讖の経にあらざるを極言」したことにより、逆鱗(げきりん)に触れた。しかし斬殺(ざんさつ)を免れて六安(ろくあん)郡丞(じょう)に左遷され、赴任の途中で病没した。『新論』は時説の真偽を問うもので、王充(おうじゅう)思想の先駆となったが、断片断章を残すのみである。そこには、為政のあるべき姿を説く大体論、王莽(おうもう)批判、神仙説批判、神滅論などがあり、鋭い批判精神が示されている。
[大久保隆郎 2016年1月19日]