桜田文吾(読み)サクラダ ブンゴ

20世紀日本人名事典 「桜田文吾」の解説

桜田 文吾
サクラダ ブンゴ

明治・大正期のジャーナリスト,政治家 京都市議。



生年
文久3年(1863年)

没年
大正11(1922)年12月31日

出生地
陸奥仙台(宮城県仙台市)

別名
号=大我,一寸法師

学歴〔年〕
東京法学院

経歴
小学校助教を務めたのち東京法学院に学ぶ。同卒業後、陸羯南主宰の日本新聞社に入り、記者となる。明治24年より「日本」紙上に日本初の東京・大阪の貧民街ルポを連載し、二葉亭四迷松原岩五郎・横山源之助らのちの文士・ジャーナリストに大きな影響を与えた。その後、京都に移って京都通信社・京華社を設立。また京都市会議員に当選するなど、政界でも活動。著書に「貧天地饑寒窟探検記」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「桜田文吾」の意味・わかりやすい解説

桜田文吾 (さくらだぶんご)
生没年:1863-1922(文久3-大正11)

明治・大正期のジャーナリスト。大我,一寸法師と号す。仙台の出身。小学校の助教を経て東京法学院(現,中央大学)に進み,のち陸羯南主宰の日本新聞社に入社。1893年に刊行された《貧天地饑寒窟探検記》はその3年前《日本》に連載された貧民街探訪記である。最も早い東京,大阪の貧民ルポで二葉亭四迷,松原岩五郎,横山源之助の活動に影響を与えた。のち京都通信社を創設し,京都市会議員に当選した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桜田文吾」の解説

桜田文吾 さくらだ-ぶんご

1863-1922 明治-大正時代のジャーナリスト。
文久3年生まれ。陸羯南(くが-かつなん)の日本新聞社にはいり,東京,大阪のスラム街探訪記を連載して知られる。のち京都にうつり,京華社,京都通信社を創設し,市会議員をつとめた。大正11年12月31日死去。60歳。陸奥(むつ)仙台出身。東京法学院(現中央大)卒。号は大我,一寸法師。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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