桟敷村(読み)さじきむら

日本歴史地名大系 「桟敷村」の解説

桟敷村
さじきむら

[現在地名]氷上町桟敷

中央を北由良きたゆら川が流れ、南は山陰道で氷上村。慶長六年(一六〇一)旗本別所領、寛永五年(一六二八)幕府領となる(鶴牧藩大概帳)。同一〇年三田藩領となり、正保郷帳に村名がみえ田高二五五石余・畠高二七石余、芝山・林あり、日損・水損少しあり。同藩領。天和二年(一六八二)幕府と三田藩・旗本水野家(享保一〇年安房北条藩、文政一〇年上総鶴牧藩)の三給となり、元禄八年(一六九五)から幕府・三田藩・柏原藩・水野家の入組みとなる(前掲大概帳)。元禄郷帳では高二七五石余。領主は同じ(国立史料館本元禄郷帳)


桟敷村
さじきむら

[現在地名]六日市町真田さなだ

なな村の北、吉賀よしが川の左岸にある。川に沿って安芸廿日市あきはつかいち街道が通る。北隣は大野原おおのばら(現柿木村)。明治四年(一八七一)の万手鑑では古高一〇五石余、寛永一四年(一六三七)の検地高一二一石余、明治四年の総高一四八石余・反別一八町七反余、家数一六(本百姓一五・小百姓一)・人数七三、牛一〇、米蔵一、剣玉けんぎよく神社、鉄砲一、紙漉舟一一。


桟敷村
さじきむら

[現在地名]塩尻市大字桟敷

川と五千石ごせんごく道の中間にあり、南は堀之内ほりのうち、西は田川を隔てて大門だいもん、東は長畝ながうねの各村に隣接する。

中世までは塩尻郷東条ひがしじように属し、五日市場いつかいちば・やしき東・やしきぞえ・ほり畑・そり畑・向畑・角畑かどばたなど市場や館跡に関係あると思われる地字が多い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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