梁瀬義亮(読み)ヤナセ ギリョウ

20世紀日本人名事典 「梁瀬義亮」の解説

梁瀬 義亮
ヤナセ ギリョウ

昭和期の医師,有機農業家



生年
大正9(1920)年3月5日

没年
平成5(1993)年5月17日

出生地
奈良県五条市

学歴〔年〕
京都帝大医学部〔昭和18年〕卒

主な受賞名〔年〕
吉川英治文化賞〔昭和50年〕

経歴
昭和18年無医村診療班の1員として瀬戸内海の島を訪問。その後、兵庫県立尼崎病院に勤め、応召、フィリピン戦線に従軍。復員して22年尼崎病院に戻り、27年郷里の五条市で内科・小児科医院を開業した。病気と食生活に関心を持っていたが、32年ごろ神経症を伴う肝炎のような病気が増え、34年になり農薬が原因と分かった。このため無農薬の有機農業の研究を進め、37年「農薬の害について」というパンフレット自費で出版、有機農薬や食生活の改善を医業を通して啓発した。のちに健康を守る会が生まれ、地元農家が結束、会員に安全な農作物を供給する組織として、46年には財団法人慈光会に発展、50年には協力農家13戸、会員1200世帯となった。これは有吉佐和子の「複合汚染」に紹介され、同年吉川英治文化賞に輝いた。著書に「有機農業革命」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「梁瀬義亮」の解説

梁瀬義亮 やなせ-ぎりょう

1920-1993 昭和-平成時代の医師。
大正9年3月5日生まれ。兵庫県立尼崎病院をへて,昭和27年奈良県五条市で開業。農薬の害をうったえ,有機農業の研究,実践をすすめ,35年「健康を守る会」(慈光会の前身)を結成。有吉佐和子の「複合汚染」に紹介された。50年吉川英治文化賞。平成5年5月17日死去。73歳。奈良県出身。京都帝大卒。著作に「有機農業革命」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「梁瀬義亮」の解説

梁瀬 義亮 (やなせ ぎりょう)

生年月日:1920年3月5日
昭和時代;平成時代の医師
1993年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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