コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

梅北一揆 うめきたいっき

2件 の用語解説(梅北一揆の意味・用語解説を検索)

世界大百科事典 第2版の解説

うめきたいっき【梅北一揆】

1592年(文禄1)6月15日島津氏の家臣で,大隅湯之尾地頭の梅北国兼朝鮮出兵の途中意を翻して加藤清正領の肥後国葦北郡佐敷城を奪取した事件。梅北は近郷の地侍に決起を呼びかけるとともに翌16日,田尻荒兵衛,東郷甚右衛門らを小西行長領の同国八代郡八代城攻撃に派遣するなど,肥後南部の一揆状況化を図った。さらに島津領と球磨郡相良領の武士に対しても与同を求め,一大名の支配領域を超える展開をみせた。しかし17日,梅北が佐敷城の留守居に謀殺されて一揆は崩壊した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

梅北一揆
うめきたいっき

統一政権に対する在地領主層の反乱。主謀者の梅北宮内左衛門尉(くないざえもんのじょう)国兼(くにかね)は薩摩(さつま)島津氏の家臣、大隅国(鹿児島県)菱刈(ひしかり)郡湯之尾(ゆのお)地頭、同国姶良(あいら)郡山田を知行(ちぎょう)した。1592年(文禄1)朝鮮出兵のため肥前国平戸(ひらど)(長崎県)に至ったが、田尻但馬(たじりたじま)、伊集院三河(いじゅういんみかわ)らを語らい、6月15日、加藤清正(きよまさ)領の肥後国(熊本県)葦北(あしきた)郡佐敷(さしき)城を奪った。翌16日、田尻を小西行長(ゆきなが)領の八代(やつしろ)郡八代攻略に遣わし、肥後南部の一揆状況化を企てた。しかし17日、梅北が佐敷城の留守居(るすい)衆に謀殺され、一揆は崩壊した。一揆が失敗した最大の原因は、共闘を呼びかけた郷村の古侍層が決起せず、逆に一揆を攻撃する側に回ったことに求められる。一揆は九州の豊臣(とよとみ)権力の根拠地を選んで起こされており、単なる朝鮮出兵拒否の反乱とはみられない。一揆鎮圧後、1594年島津領、95年加藤領に対し太閤(たいこう)検地が行われた。梅北一揆は、統一政権確立への道をより確定的にする負(ふ)の役割を果たした。[紙屋敦之]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

梅北一揆の関連キーワード文禄伊作勝久伊地知重貞梅北国兼島津家久(1)島津新八郎島津忠廉島津忠隆島津忠雅島津久豊(1)

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone