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イタリアの作曲家。初期バロックに特にオペラの確立に貢献した。クレモナに生まれ,ベネチアで死去した。クレモナの大聖堂楽長M.A.インジェニェリに師事してルネサンスの声楽ポリフォニーの技法を身につけ,早くも15歳でモテット集を出版した。1590年からマントバ公の宮廷にビオラ奏者として仕え,1601年には楽長になった。マントバ時代の作品には《マドリガーレ集》第3~5巻(1592,1603,05),オペラ《オルフェオ》(1607),《アリアンナ》(1608),教会作品《聖母マリアの夕べの祈り》(1610)などがある。これらの作品には通奏低音,ホモフォニー,自由な和声進行,大胆な不協和音,表現的なレチタティーボ,壮麗なコンチェルタート(声と楽器,あるいは声同士,楽器同士を対比的に掛け合わせる技法),楽器の豊富な使用など多くの新しい音楽の特徴がみられ,彼の音楽が劇的表現に満ちたバロックへと足を踏み入れたことを示している。
1613年にベネチアのサン・マルコ大聖堂の楽長に迎えられた。ここでは礼拝用の音楽を作曲するかたわら,各地の宮廷のためにオペラやバレエ曲を書いた。弦のトレモロやピチカートの使用で知られる《タンクレディとクロリンダの戦》(1624)はこれらのオペラの一つである。その後1637年にベネチアに市民のための公開のオペラ劇場が開場し,続いていくつもの劇場がつくられた。70歳の高齢にもかかわらず,モンテベルディはそれらの劇場のために四つのオペラを作曲した。そのうち《オデュッセウスの帰郷》(1641),《ポッペアの戴冠》(1642)のみが残っている。《ポッペアの戴冠》は彼の最後を飾る力作である。旋律,リズム,和声,構成,その他すべての音楽要素が,複雑にからみ合う登場人物の感情の動き,劇の展開をあますところなく描き,音と言葉が一体となって一つの世界を創り出している。劇的表現に天才的に優れていた彼の音楽は,音楽史上,オペラ史上,容易に征服されない高峰としてそびえている。
執筆者:鴇田 信男
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イタリアの作曲家。クレモナに生まれる(5月15日受洗)。同地でインジェニェリに学んだあと、15歳で最初の曲集を出版した。1590年マントバの宮廷音楽家となり、1602年には宮廷楽長に就任した。しかし、12年に庇護(ひご)者のマントバ公ビンチェンツォ1世が死んだことにより宮廷楽長の職を退き、クレモナに戻った。翌13年ベネチアのサン・マルコ大聖堂楽長となり、以後43年11月29日に死ぬまでこの地位にあって、ベネチアの音楽の発展に尽くした。
モンテベルディは、ルネサンス音楽の最後の担い手であると同時に、新しいバロック音楽をも開拓し、確立していった大作曲家であった。ルネサンスからバロックへと移り変わっていったその作曲様式の変遷は、八巻に及ぶ『マドリガーレ集』にはっきり現れている。第一巻から第四巻までの五声の『マドリガーレ集』では、伝統的なポリフォニー技法を用いたルネサンス・マドリガーレの最後の花を咲かせたが、第五、六巻では通奏低音付きの作品を数曲含め、第七巻と第八巻になると、通奏低音伴奏による独唱曲や重唱曲を集めて、マドリガーレを新しいバロック様式のものに変えてしまっているのである。モンテベルディはまた、16世紀末に新しく登場したオペラにも手を染め、最初の作品『オルフェオ』(1607)によってオペラの分野の確立に貢献した。また、ベネチア時代の最後に書かれた『ポッペアの戴冠(たいかん)』(1642)は、バロック・オペラの最高傑作と評されている。一方、宗教音楽の分野でも優れた業績を残しているが、ここでも、マドリガーレの分野と同様、ルネサンスとバロックの両面をみせている。そのうち、バロックの様式で書かれた『聖母マリアのための晩課』(1610)は傑作として知られ、晩年に出版された宗教曲集『倫理的、宗教的な森』(1640)とともに、バロック音楽の確立者としてのモンテベルディの姿をはっきりと示している。
[今谷和徳]
『R・テラール著、田辺保訳『モンテヴェルディ』(1976・音楽之友社)』▽『D・アーノルド著、後藤暢子・戸口幸策訳『モンテヴェルディ』(1983・みすず書房)』
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…イタリア各地の宮廷では,音の粋を尽くしたマドリガーレ(14世紀のものとは性質が異なる)や,軽快なビラネラ,バレットなどが楽しまれた。L.マレンツィオ,C.ジェズアルドやモンテベルディらは,マドリガーレの代表的な作曲家である。
[バロック]
1580年代のフィレンツェで,一群の貴族と文学者と音楽家がカメラータ(同志の意)と自称したアカデミアに結集し,古代ギリシアの音楽のあり方を探りつつ,ギリシア悲劇を復興しようとする運動を起こした。…
…16世紀末,フィレンツェのカメラータ(文学者,音楽家のグループ)によって創始されたモノディは通奏低音に支えられた独唱のスタイルで,歌詞の抑揚や情緒を,あたかも語りのように表現しようとした。初期バロックの天才C.モンテベルディが語ったように,今や〈言葉が音楽の主人〉となり,言葉の内容に即した表現を実現するためには,マドリガーレのようなポリフォニー音楽においても,ルネサンス・ポリフォニーの規則に縛られない破格な進行や和声が許されるようになった。モノディの原理はオペラを生み,オラトリオやカンタータの中でも適用された。…
…その最初の例は,L.マレンツィオの〈シンフォニア〉(1589)である。他方クレモナ出身のモンテベルディはオペラ《オルフェオ》(1607)の中でバイオリンを使い,バイオリンがオーケストラの中心的楽器としての地位を確立していく道を開いた。 17世紀のバイオリン音楽は,それまでの主要な弦楽器であったビオルの奏法への依存から脱して,バイオリン特有の技巧とともに,劇場での華やかな歌唱から影響を受けた,独自の器楽的表現を確立していった。…
…およそ16世紀末から18世紀前半にかけての音楽をいう。この時代に活躍した音楽家の中では,J.S.バッハ,ヘンデル,ビバルディらの名が広く知られているが,彼らは後期バロックの巨匠であり,初期を代表するモンテベルディやフレスコバルディ,中期のリュリやコレリらも見落とすことができない。同時代の美術の場合と同じく,バロック音楽を社会的に支えたのは,ベルサイユの宮廷に典型を見る絶対主義の王制と,しだいに興隆する都市の市民層であった。…
…宗教的声楽曲やマドリガーレにおける詞の情感の表出に意を用いて半音階的手法や大胆な不協和音の使用を推し進めたフランドル出身のチプリアノ・デ・ローレCipriano de Rore(1515ころ‐65)と,宗教的声楽曲やマドリガーレを作曲し,とくに体系的な理論書《音楽論Le istitutioni harmoniche》(1558)で知られるツァルリーノである。また1613年にはルネサンス様式からバロック様式への転換に大きな役割りを果たしつつ聖俗の多くの分野で不朽の金字塔を打ち建て,初期のベネチア・オペラにも重要な貢献をしたモンテベルディが楽長になった。 また,サン・マルコのオルガン奏者としても,トッカータ,カンツォーナ(カンツォーネ),リチェルカーレなどのオルガン曲や合奏曲だけでなく,宗教曲やマドリガーレの作曲にも優れていたメルロClaudio Merulo(1533‐1604),新しい様式のトッカータのほか宗教的楽曲にも優れた作品を残したアンニバレ・パドバノAnnibale Padovano(1527‐75),さまざまな形式の宗教的声楽曲,マドリガーレ,オルガン曲,合奏曲を作曲したA.ガブリエリ,その甥でとくに全2巻の《サクレ・シンフォニア集》(1597,1615)の宗教的声楽曲や,ソナタやカンツォーナなどの合奏曲において,コーリ・スペッツァーティの手法を縦横に駆使して壮麗な音響の世界を展開したG.ガブリエリら,作曲家としても優れた人材が相次いだ。…
※「モンテベルディ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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