日本大百科全書(ニッポニカ) 「モンテベルディ」の意味・わかりやすい解説
モンテベルディ
もんてべるでぃ
Claudio Monteverdi
(1567―1643)
イタリアの作曲家。クレモナに生まれる(5月15日受洗)。同地でインジェニェリに学んだあと、15歳で最初の曲集を出版した。1590年マントバの宮廷音楽家となり、1602年には宮廷楽長に就任した。しかし、12年に庇護(ひご)者のマントバ公ビンチェンツォ1世が死んだことにより宮廷楽長の職を退き、クレモナに戻った。翌13年ベネチアのサン・マルコ大聖堂楽長となり、以後43年11月29日に死ぬまでこの地位にあって、ベネチアの音楽の発展に尽くした。
モンテベルディは、ルネサンス音楽の最後の担い手であると同時に、新しいバロック音楽をも開拓し、確立していった大作曲家であった。ルネサンスからバロックへと移り変わっていったその作曲様式の変遷は、八巻に及ぶ『マドリガーレ集』にはっきり現れている。第一巻から第四巻までの五声の『マドリガーレ集』では、伝統的なポリフォニー技法を用いたルネサンス・マドリガーレの最後の花を咲かせたが、第五、六巻では通奏低音付きの作品を数曲含め、第七巻と第八巻になると、通奏低音伴奏による独唱曲や重唱曲を集めて、マドリガーレを新しいバロック様式のものに変えてしまっているのである。モンテベルディはまた、16世紀末に新しく登場したオペラにも手を染め、最初の作品『オルフェオ』(1607)によってオペラの分野の確立に貢献した。また、ベネチア時代の最後に書かれた『ポッペアの戴冠(たいかん)』(1642)は、バロック・オペラの最高傑作と評されている。一方、宗教音楽の分野でも優れた業績を残しているが、ここでも、マドリガーレの分野と同様、ルネサンスとバロックの両面をみせている。そのうち、バロックの様式で書かれた『聖母マリアのための晩課』(1610)は傑作として知られ、晩年に出版された宗教曲集『倫理的、宗教的な森』(1640)とともに、バロック音楽の確立者としてのモンテベルディの姿をはっきりと示している。
[今谷和徳]
『R・テラール著、田辺保訳『モンテヴェルディ』(1976・音楽之友社)』▽『D・アーノルド著、後藤暢子・戸口幸策訳『モンテヴェルディ』(1983・みすず書房)』