日本歴史地名大系 「梶ヶ谷村」の解説 梶ヶ谷村かじがやむら 神奈川県:川崎市高津区梶ヶ谷村[現在地名]高津区梶ヶ谷一―六丁目、宮前(みやまえ)区梶ヶ谷・宮崎(みやざき)東南は上野川(かみのがわ)村、西は馬絹(まぎぬ)村(現宮前区)、北は末長(すえなが)村に接する。矢中耕地(やなかごうち)・寺前耕地(てらまえごうち)・屋敷前耕地(やしきまえごうち)などの小字がある。村の西方に御林二ヵ所がある。野川の影向(ようごう)寺蔵十二神将像の享禄四年(一五三一)の修理墨書銘に「野河郷加□谷村」とあるのは当村のことと考えられる。田園簿に村名がみえる。近世は初め幕府直轄領、寛永一〇年(一六三三)旗本蜂屋領となり、元禄一〇年(一六九七)以降幕府直轄領。享保一六年(一七三一)東海道品川(しながわ)宿の加助郷となり、助郷高二三六石(品川町史)。 梶ヶ谷村かじがやむら 神奈川県:川崎市宮前区梶ヶ谷村[現在地名]宮前区梶ヶ谷・宮崎(みやざき)、高津(たかつ)区梶ヶ谷一―六丁目昭和五七年(一九八二)七月の宮前区成立に伴い、西南部が高津区から宮前区へ移った(高津区の→梶ヶ谷村)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by