森寺城跡
もりでらじようあと
[現在地名]氷見市森寺
戦国期には湯山とよばれ、阿尾川中流左岸に築かれた山城。城山の標高は一六〇メートル、比高は一四〇メートルで、麓の阿尾川沿いを荒山峠越に能登へ抜ける道筋が通る。城の規模は現氷見市内でも最大級で、南部にある千久里城と双璧をなす。また南方には八代谷を隔てて海老瀬城跡と相対する。江戸期の書上は城主を長沢筑前守と記すが、この長沢筑前守は現朝日本町の上日寺境内に残る元亀三年(一五七二)八月日の石仏に刻銘のみえる長沢筑前守光国と思われる。長沢氏は永禄年間(一五五八―七〇)耳浦河尻代官職を違乱し、天正五年(一五七七)には上杉謙信に属し、能登穴水城(現石川県穴水町)の守将となったが、同七年能登勢と戦い討死したと伝える。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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