森郷(読み)もりごう

日本歴史地名大系 「森郷」の解説

森郷
もりごう

現土佐町の吉野川右岸域および現大川おおかわ村の一部を、近世、森郷と称した。「土佐州郡志」は「当土佐山北、即属土佐山、東限長岡郡之本山三島村田井村、西限吾川郡之上八川郷野清水、南限長岡郡之上倉土佐山、北限本川吉野川、東西三里余南北十一里、郷内有土居・地蔵寺・石原・有間・芥川瀬戸・栗木・和田・南川・中切・小南川・柚木・南越・相川・笹之谷十有五村」と記す。この一五村のうち中切なかぎり小南川おみながわ二村が現大川村に属する。


森郷
もりごう

[現在地名]利府町森郷

利府本郷の北に位置。三方を山に囲まれ、平野部を石巻いしのまき街道が通る。慶長年間(一五九六―一六一五)までは利府本郷・加瀬かせ村とともに利府郷を形成し、同年間に開かれたと思われる利府宿のうちなか町・ひがし町の二町が所在する。この二町は文禄四年(一五九五)の利府之郷検地名寄帳(仙台市博物館蔵)みえ、各々検断が置かれていた。正保郷帳には森之郷とみえ、田三一貫五七二文・畑四貫二七二文、ほかに新田五五文。「安永風土記」では田六〇貫六七文・畑一二貫三五文(うち茶畑八五文、ただし永荒)、一円蔵入地、人頭七二人(うち代数有之百姓一)、うち中町住居二〇・東町住居二二・町外住居三・村住居二七、家数七二、男一七一・女一五一、馬五六、御林八ヵ銘。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の森郷の言及

【土佐[町]】より

…四国山地の南側にあり,大部分は山地だが,町域北部を南東流する吉野川に注ぐ瀬戸川,地蔵寺川沿いに河岸段丘が発達して耕地が開ける。一帯はかつて森郷と呼ばれ,中世には土豪森氏の本拠地であった。江戸初期,土佐藩執政野中兼山によって用水路の新井(あらゆ)溝が開かれた。…

※「森郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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