土佐町(読み)とさちよう

日本歴史地名大系 「土佐町」の解説

土佐町
とさちよう

面積:二一〇・九六平方キロ

土佐郡中央部に位置し、北は大川(おおかわ)村・愛媛県伊予三島(いよみしま)市、東は長岡郡本山(もとやま)町・南国市、南は土佐山(とさやま)村・鏡(かがみ)村、西は本川(ほんがわ)村・吾川(あがわ)郡吾北(ごほく)村。西から北にかけては稲叢(いなむら)山(一五〇六・二メートル)・とぎの山(一四九六・七メートル)・能谷(のうたに)山(一三六九メートル)・早天(そうてん)山(一二〇九・八メートル)など、東は大己屋(おおごや)山(一二六二・三メートル)・鎌滝(かまたき)山(一一一五・八メートル)・笹(ささ)ヶ峰(一一三一・四メートル)など、南は工石(くいし)山(一一七六・四メートル)・陣(じん)ヶ森(もり)(一〇一三・三メートル)などの高山がそびえる。


土佐町
とさまち

[現在地名]鷲敷町土佐

和食(わじき)町の北、那賀川右岸付近に位置する。和食村に含まれることもある。慶長年間(一五九六―一六一五)に土佐国の人が開発したと伝える(鷲敷町史)。「阿波志」によれば水陸田三町五反余で高一三石、和食村に隷するとある。旧高旧領取調帳でも同高、すべて蔵入地。天明六年(一七八六)の村々浦里男女人改帳(守野家文書)によると人数一五〇、うち男九〇・女六〇。文化八年(一八一一)の棟付帳(日下家文書)では家数五三、うち町人四八・見懸人三・来り人二、人数二二〇、うち見懸人一一・来り人六・女一〇九、牛三。「阿波志」では家数三七・人数一五二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「土佐町」の意味・わかりやすい解説

土佐〔町〕
とさ

高知県中部,四国山地中にあり,吉野川上流と地蔵寺川流域に開ける町。 1955年地蔵寺,森,田井の3村が合体して土佐村となり,70年町制。農林業と畜産が中心で,古くから良質の相川米と土佐赤牛の産地として知られる。 73年,東部に四国最大の多目的ダム早明浦ダムが建設された。中央部に天然記念物平石の乳イチョウがある。南部には笹ヶ峰,陣ヶ森などの山があり,工石山陣ヶ森県立自然公園に属する。国道 439号線が通る。面積 212.13km2。人口 3753(2020)。

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